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小津安二郎はこんな至言を残しています。
「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。」
2022年1月27日の内田樹さんの論考「『慨世の遠吠え』あとがき-鈴木邦男さんを悼んで」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
ある人が自分のオリジナルな知見を語っているのか、誰かの請け売りをしているのかは、実際には簡単に判別できます。「偉そうに、断定的に、定型的な言葉づかいで、同じことを何度も言うやつ」はおおかた誰かの請け売りをしていると判じて過ちません。自分の頭で考え、自分の言葉で語る人、独立独行の人は、そうはなりません。
そういう人はつねに自分の中から湧き上がってくるアイディアの尻尾をつかまえようとしています。自分の内側を探りながら、何か新しい思念や感情の兆しがあれば、それを追いかける。それは外側から到来するものについても同じです。それまで自分は思いつかなかったけれど、この先自分のアイディアを表現する役に立ちそうなことを誰かが口にしたら、ついうれしくなる。「あ、そうか(その手があったか)」と膝を打つ。
僕たちは「自説を一歩も譲らない」という非妥協的な態度を貫いている人間を見ると、うっかりして「深い確信があるからこそ、ああいう態度ができるんだ」と思ってしまいます。でも、違います。ほんとうは逆なんです。非妥協的な人は、自分が述べていることのうちのどこが「ほんとうに重大」で、どこが「どうでもいいこと」なのか識別できないので、しかたなく「すべて譲れない」という硬直的な態度をとっているのです。自分に深い確信を持っている人は、もっとずっと柔軟です。自分の意見のうちのどこまでが「譲ってもよいところ」で、どこからが「譲れないところ」なのか知っているから、臨機応変、変幻自在です。
小津安二郎はこんな至言を残しています。
「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。」
鈴木さんもたぶん小津安二郎のような重層構造になっているのだと思います。
僕とのこの対談でも、「どうでもよいこと」については僕のおしゃべりをにこにこ聞き流し、「重大なこと」については興味深げに質問をします。でも、「ほんとうにたいせつなこと」については僕に同意を求めることさえしない。鈴木さんは自分が確信していることについては他人の承認を必要としていないからです。
だから、鈴木さんは誰とでも会うんだと思います。どんな本でも読む。教えられて気づいたことがあればにっこり笑って「あ、そうか」と膝を打つ。この開放性と身のこなしの柔軟さは、鈴木さんにとってのぎりぎり削ぎ落として最後に残る「絶対に譲れないところ」が細身の刀身のように鈴木さんの魂に深々と突き刺さっているからだと僕は思います。「そこだけは何があっても譲れないところ」をわきまえている人にとって、それ以外のことはすべて些事である。そういうことだと思います。
鈴木さんは「独立独行の人」であると思うと最初に書きました。それは、鈴木さんのあの温顔の下には、「ほんとうにたいせつなこと」を貫くためには、誰の同意も承認も求めない、そのようなものを求めても仕方がないというきっぱりとした禁欲と諦念が蔵されていると思うからです。鈴木さんが笑顔を絶やさないでいられるのは、まわりの人間が鈴木さんをどう遇そうと、どう評そうと、それに動じることがないからなんだと思います。
この「あとがき」を書き始める少し前にアメリカでは大統領選挙があり、ドナルド・トランプが大統領に選出されました。来年にはフランス、ドイツで選挙があります。いずれの国でも、政治過程は「一国主義」「排外主義」「アンチ・グローバリズム」の方向にきしみを立てて方向転換しつつあります。国際社会の未来について指南力のあるメッセージを発信できる政治家はもう世界のどこにも見当たりません。どこからも怒りや恨みや嘆きの言葉しか聞こえてこない。「これからの世界はこうあるべきだ」という向日的なヴィジョンを語る人がどこにもいない。世界は五里霧中のうちに突入した、というのが僕の率直な感想です。このあと世界はどうなるのか、日本はどうなるのか、僕にはっきりとした見通しがあるわけではありません。でも、そういうときに「私はどうすればいいか正解を知っている」としたり顔で言う人間には付いていってはいけないということは経験的に知っています。そうではなくて、こういうときは「衆知を集めることができる人」を探して、その言葉に耳を傾けるべきだと思います。解答することの困難な問題について、自分とは違う立場からの言葉に広々と心を開くことの出来る開放的な知性に耳を傾けるべきだと思います。鈴木邦男さんはいまの日本にわずかに残っているそういう得がたい智者です。一人でも多くの読者が鈴木さんの思想と運動から生きる力と知恵を学んで欲しいと僕は切に願っています。
この希有の人との対談の機会を持たせてくれたことについて、鹿砦社の福本高大さんに改めてお礼申し上げます。また本書への「推薦文」をお寄せくださいました、白井聡、かわぐちかいじの両氏のご厚意にも心から感謝申し上げます。みなさん、どうもありがとうございました。