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内田樹さんの「上海の近況」 ☆ あさもりのりひこ No.1359

中国はずいぶん前から治安維持予算が国防予算を超えている。それは中国共産党が海外からの軍事侵略リスクよりも、国内における反政府運動のリスクの方を高く見ているからである。

 

 

2023年4月1日の内田樹さんの論考「上海の近況」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

上海に出向中の門人の李くんが一時帰国したので、現代中国の市民生活についていろいろとご教示を乞うた。実際に中国で生活している人の生の声を聴くことができる貴重な機会である。

 最初の話題は、上海での電気自動車の普及。上海ではガソリン車を購入すると、ナンバーを取るまで2年間待たなければならない。電気自動車ならすぐナンバーが交付されるし、助成があるので、同じ車格なら、ガソリン車よりもはるかに安い値段で買える。当然、みんな電気自動車に乗り換える。

 電気自動車は上海市内で乗り回す分にはいいが、いったん郊外に出ると充電できるスタンドがなかなか見つからない。高速道路を走っていて渋滞に遭遇したりすると、残りの電気量が気になる。電気が切れたおしまいだから、冷房を切り、エンジンを切り、電気を節約する。「あのどきどき感はなかなかです」ということだった。

 自然に、人々は車に乗って遠出するということを自制するようになる。そういうふうにして政府は市民の行動の自由にやんわり抑制をかけようとしているのではないかとちょっと考えた。邪推かも知れないけれど。

「もう現金を持ち歩くことはないですね」と李くんは言う。現金もクレジットカードももう使わない。すべて携帯ひとつ。レストランに入ってもメニューがない。テーブルにQRコードが貼り付けてあるのでそれを携帯で読み取る。画面にメニューが出てくるので、そこから選ぶ。支払いももちろん携帯。数人でご飯を食べる時も一人ずつ携帯で注文する。支払う時は誰か一人がまとめて払い、残りの人たちはその人に携帯で送金する。

 公共交通機関も携帯で乗り、屋台でも携帯で食べ物を買い、マンションの入り口もエレベーターも携帯で入る。自分の部屋に入るときだけはさすがに鍵で開けるのだそうであるが、そういう「前時代的なもの」を使うのは、そのときだけらしい。

「携帯を落としたらたいへんだね」と言ったが、「身分証明があれば、すぐに次の携帯が買えますから」ということだった。そうですか。

 携帯を持っていないと暮らせないのだが、携帯を持っている限り、個人情報は政府に筒抜けになる。中国はずいぶん前から治安維持予算が国防予算を超えている。それは中国共産党が海外からの軍事侵略リスクよりも、国内における反政府運動のリスクの方を高く見ているからである。

 治安維持費は国民監視に使われる。監視カメラによる顔認証、声紋認証、虹彩認証...などの国民監視テクノロジーにおいて中国はいま世界一である。そのテクノロジーはパッケージされてシンガポールはじめ独裁国家に「輸出」されている。

 携帯を通じて全国民の情報を政府が把握しようとするのはたいへんな仕事だろうと思う。そんな手間暇をかけるより、その予算を国民が楽しく豊かに暮らせるように使った方が「反政府運動」が起きるリスクは軽減できるのではないかと私は思うが、中国共産党の指導部はそうは考えないらしい。

 携帯による位置情報把握はたいへん正確だそうである。「ゼロコロナ」の時はいきなり携帯に電話がかかってきて、「あなたは何時何分何秒にこの場所いたが、その時コロナ感染者と接触したので、濃厚接触者に認定された」と言って行動制限を受けたそうである。

「でも、そこは自転車で通っただけで、まわりには誰もいなかったんですよ」と李くんはこぼす。「GPSは衛星からの情報で位置特定するので、僕が自転車で通り過ぎた所の真下の地下駐車場に感染者がいると僕まで濃厚接触者に認定されてしまうんです。」

 国民監視もたいへんである。

 

(山形新聞 3月30日)