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アメリカの没落がもたらす衝撃には備える必要がある。たぶん日本の指導層にとっては「考えたくもないこと」だろうけれども、「考えたくもないこと」はしばしば起きる。それは歴史が教えている。
2023年4月1日の内田樹さんの論考「『アメリカは内戦に向かうのか』バーバラ・F.ウォルター」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
「もし、ある州が攻撃された場合、他の州はその救援に馳せ参じ、その防衛のためにみずからの血を流し、みずからの金を投ずるであろうか?」そうフェデラリストは問うた。
あるいは「アメリカが三ないし四の独立した連合体に分裂して、一つはイギリスに、一つはフランスに、一つはスペインの支援を受けて」、代理戦争が始まった場合に、アメリカ国民はどうふるまったらよいのか、そうフェデラリストは問うた。
独立直後のアメリカ合衆国においては、いずれも蓋然性の高い未来であった。
「ジェームズ・マディソンとアレクサンダー・ハミルトンは、アメリカの民主主義が危殆に瀕するとき、それは派閥の手によって引き起こされるだろうと考えていた。共和国にとって最も危険なのは外敵ではない。支配に執着した国内の敵である。そのように『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』には記されている。」(185頁)
と筆者ウォルターは書いている。実際にはフェデラリストたちは共和国にとって最も危険なのは「外敵」および「外敵と結んだ州政府」だと考えていたが、現在のアメリカにとって他国からの軍事侵攻も大国による代理戦争の戦場になる可能性もないのだから、内戦の最大のリスク・ファクターが「支配に執着した国内の敵」だというウォルターの見立ては正しい。
そして、ウォルターによれば、アメリカで起きるかもしれない内戦のかたちはフェデラリストの時代とはかなり違ったものになる。
「18世紀アメリカの指導者は、自らの脅威となる派閥が階級ではなく、民族的アイデンティティになることまでは予期していなかった。1789年当時にあって、少なくとも連邦レベルでの有権者は全員白人男性だった。今日、投票行動を予期する主要因は人種である。黒人、ラテン系アメリカ人、アジア系の3分の2以上は民主党を支持し、白人の6割は共和党に票を投じる。」(186頁)
アイデンティティ・ポリティクスとは、ある政治家を支持するときの理由が、その政治家の掲げる政策の適否ではなく、自分と同じ「部族」に帰属しているかどうかを基準にする政治的行動のことを言う。ドナルド・トランプはアイデンティティ・ポリティクスの典型である。
「彼はアイデンティティによる政治を堂々と自分の綱領に取り入れた。彼は黒人はみな貧しくて暴力的と決めつけ、メキシコ人はみな犯罪者という。性的醜聞にもかかわらず、キリスト教の価値を語る。」(190頁)
トランプは国民をその政治的意見によってではなく、帰属集団によって分断し、自分たちの「部族」以外のすべての部族は消えてなくなっても構わないという過激な主張をなして、圧倒的なポピュラリティを獲得した。
ウォルターによれば、こういう過激な主張が出てくるのは、その集団が、「格下げ」を感じているからである。内戦についての統計的事実としてウォルターは次のことを挙げている。
内戦を始める集団は一般に自分たちは政治的決定プロセスから排除されていると感じている。でも、「最も強力な決定要因は、その集団の経てきた政治的地位の来歴上の特質にある。すなわち、それまで権力の上位にあった人々が、落ちこぼれてゆくとき、実体的暴力に走る傾向は一挙に高まるということである。政治学者は、この現象を『格下げ』と呼ぶ。」(97頁)
人を政治的暴力に駆り立てるのは「失う」ことの痛みである。人間を行動に駆り立てるのは「何かを新たに獲得しよう」という動機よりもむしろ「失ったものを取り戻したい」という動機である。
「人は幾年にもわたって耐えることができる。たとえば、貧困、失業、差別などを認容し得る。お粗末な教育機関、機能不全の病院、荒れ果てたインフラをも受け入れるだろう。しかし、当然に自らのものとしてきた地位をある日喪失すること、これだけは許すことができない。21世紀において最も危険な派閥がこれによっている。かつて権力を保持していた集団が力を失ってゆく局面である。」(100頁)
2012年の国勢調査で、アメリカのその年の新生児のうち非白人が50%を超えた。ヒスパニックとアジア系アメリカ人は増え続け、2045年までに非白人が白人を人口で凌駕する。
「白人市民、とりわけ農村部の多くは、経済的に取り残されてしまったとの疎外感が高まっている。1989年以降、非大卒の白人労働者の生活の質は、ほぼすべての指標で低下している。所得、持ち家、結婚比率などは急落、平均寿命も低下した。」(195頁)
居住地も偏り始めた。白人系は東北部、中西部、山岳地帯に住み、非白人系は都市部、南部、東西沿岸部に住む。この疎外された白人たちは政府が非白人を優遇し、非白人たちは特別の利得を過剰に要求していると感じて「憤激」している。2016年の調査では、白人の50%が「人種的憤激層」に分類された。(200頁)
「内戦の当事者が極貧層ではない事実は記憶にとどめておくべきだろう。かつて特権を保持しながら、そのありふれた幸せを喪失したと感じる人々である。」(200頁)
彼らは別に今ここで何か具体的な差別を受けているわけではない。でも、大切にしてきたものを「奪われた」と感じている。親の世代までは「ありふれた幸せ」だったものにもう自分たちの手が届かないと感じている。この喪失感、被剥奪感は、幻想のレベルにある。だから、具体的な社会福祉政策や支援策によっては埋めることができない。
『ソフト/クワイエット』という映画がある。アメリカの片田舎で、白人至上主義者の女たちが、自分たちよりも少しだけいい家に住み、自分たちよりも何ドルか高いワインを飲んでいる中国人姉妹に対して、激しいいやがらせをしているうちに、もののはずみで殺してしまうという話である。彼女たちが自分たちの暴力を正当化するのは、ここでもやはり「非白人の方がこの社会では優遇されており、かつて自分たちのものだった特権を横取りしている」という病的な被害者意識だった。
レストランや店舗で非白人に「いやがらせ」をすることと、ほんとうに殺してしまうことの間には、本来なら容易には乗り越えられない心理的な壁があるはずである(高い確率で長期にわたる投獄を覚悟しなければならない)。だが、今のアメリカではその心理的な壁が非常に低くなっている。ふつうの人でも、もののはずみでこの壁を超えることが起こる。そのことの恐怖をこの映画の監督ベス・デ・アラウージョ(母親が中国系、父親がブラジル人)はたぶんリアルに感じているのだと思う。
バーバラ・F・ウォルターもベス・デ・アラウージョも暴力の切迫を感じている。でも、この暴力の淵源は「幻想」のうちにあり、適切な政策的対応によって鎮めることは難しい。
ウォルターは最終章で、アメリカを救うための政策的提言をいくつかしている。「法の支配」「言論の自由と説明責任」「政府の能力」がきちんと機能してれいれば、SNSを通じてのフェイクニュースの拡散が抑制されれば、内戦リスクは逓減する。民主主義が強靭なものであれば、内戦は回避できる。
まったくその通りだと思う。でも、今起きているのは、民主主義が機能不全に陥っているということである。「民主主義が脆弱になっているから、強靭にすればよい」というのは、「病気になったので、治せばよい」と同じく、正しいが具体性に欠けている。
読了した後の個人的な感想を言わせてもらえれば、今アメリカで起きつつあることはウォルターが提案するような「正しい政策」で対処できるものではないような気がする。内戦に傾斜する人たちを駆動しているのは、ある種の強力な「分断のナラティブ」である。これに対抗するためには、同じくらい強力な「和解のナラティブ」を創り出すしかないと私は思う。それがどんなものか、私には見当がつかない。でも、アメリカ人はおそらく「和解のナラティブ」を何とかして創り出すと思う。その卓越した能力のうちにアメリカの「復元力(レジリエンス)」は存するからである。とりあえず独立時点でのフェデラリストと州権派の対立も、南北戦争による国民的分断も、アメリカはなんとか乗り切ってきた。今度も、内戦の危機をアメリカは回避すると私は信じている。
もし、それができなければ、21世紀の前半のどこかでアメリカはこれまで100年以上にわたって占めてきたその卓越した地位を失うことになるだろう。私たちはその日に備えなければならない。
日本人は自国については内戦リスクについて懸念する必要はないが(日本のポリティ・インデックスはこれでも+10なのである)、アメリカの没落がもたらす衝撃には備える必要がある。たぶん日本の指導層にとっては「考えたくもないこと」だろうけれども、「考えたくもないこと」はしばしば起きる。それは歴史が教えている。