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内田樹さんの「学校図書館は何のためにあるのか?」(その9) ☆ あさもりのりひこ No.1420

基本動詞として言い換えれば「裁く」「癒す」、「教える」、そして、「祈る」です。この4つの基本動詞で人間集団は成立している。この四要素がそろっていないと、集団は維持できない。

 

 

2023年9月9日の内田樹さんの論考「学校図書館は何のためにあるのか?」(その9)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 僕がこの間行った鳥取の汽水空港というところは若い夫婦が手作りして始めた本屋さん兼カフェなんです。男性は千葉の人なんですけど、3.11のときに、もうダメだ、都市文明は終わると思って、西へ西へと流れてきて、鳥取の倉吉まで来たところでお金が無くなったので、そこに居着いて、あれこれ肉体労働をして暮らしているうちにふと本屋がやりたくなった。そこで土地を借りて、本屋とカフェを作った。そこがいま鳥取では 文化的な発信の一つの拠点になっている。気が付くと、日本中から次々といろんな人が集まってきて、倉吉周辺でさまざまな文化的活動を始めた。いま、すごく活気があるのですけれど、もとは「一人書店」だった。

 それ以外に一人出版社もいまは日本中にあります。これも週日は仕事をして生計を立てて、週末だけ自分で出したいという本を作って、出版する。ほとんど儲けはなさそうですけれども、それでも身銭を切ってでも本を出し続けたいと思っている人がいる。そういう形で個人で書物を守っている人たちが日本中にいるのです。

 

 学校図書館も司書も今虐げられています。抑圧されていて、職業として消えかけているというようなきびしい状況かもしれません。でも、「書物を守る」ということについては暗黙の合意が存在していて、多くの人が身銭を切って、自分の手で書物文化を守るために拠点を立ち上げて、活動しています。

 僕の若い友人に青木真兵君という青年がいます。彼は今、奥さんの海青子さんと一緒に、奈良の東吉野村というところで「ルチャ・リブロ」という拠点を作って活動しています。これは自分の家を図書館として開放している「私立図書館」です。もう始めて10年くらいになります。彼らのところにも、日本中から聞き伝えて、いろいろな人が集まってきて、その実践を見に来てる。青木夫妻はこれまで何冊が本を出していますが、いくつかは「一人書店」の出版物です。

 資本主義経済とは無縁のところで、そういう実践はこれからどんどん増えていくと思います。できたら、みなさん方も書物文化の守り手として、図書館という異世界の扉のゲートキーパーとして、そういう聖なる仕事にこれから打ち込んで頂きたいと思います。「来館者を増やせ」とか「ベストセラーを入れと」とか上が言ってきても、そんなのは気にしないで、「うるさい! 我々は『聖なるゲートキーパー』なのだ、ふざけたことを言うんじゃない」と、そういう俗な干渉は一蹴していただきたいというふうに思います。

 

質疑応答

司会 一番多かった質問はゲートキーパーについてです。ゲートキーパーとしての司書の仕事はどういう資質が必要なのかとか、現実問題としてどういう職務体系であればいいのか、両立するのかどうかとか、図書館とゲートキーパーとしては(子どもたちを)どう受け入れたらいいのかなというような質問です。また教育DXとの兼ね合い。今学校ではICT環境をすごく言われているが、そういうところと図書館のゲートキーパーとの両立みたいなところの質問が多かったかと思います。

ミステリアスな魔女感を出している諸先輩方はたくさんいて、私たちはそこまでまだ行けてないが、そういうほうを出したら、教育効果はどうなのだろうか、という質問をまずひとつお願いします。

 

内田 「ゲートキーパー」っていうキーワードにこれだけみんな反応してくれたってことは、みなさんご自身にその自覚があるってことだと思います。そういう言葉を使ってなかっただけで。だから、僕が「ゲートキーパー」と言ったら、「あ、それそれ」っていう感じで話が伝わった。「それだよ」っていう実感があったからこれだけリアクションがあったと思うんです。でも、「ゲートキーパー」という言葉って、今日ここに来て、ここで話しながら思いついたんです。

 医療家になる人とか、学校の教師になる人とか、基本的にメンタリティに一定の傾向性があるんです。気が付いたらその仕事に就いていたっていう。

 特にその傾向が強いのは教育者と医療家です。これは絶対この世に必要な職業だからだと思います。

この集団として生きていくために絶対必要なものがいくつかありますが、僕は基本的なものは四つだと思います。その四つのピラーで人間の社会は支えられている。

 第一は「物事の理非が判定できる人」です。裁く人です。それから、「癒す人」です。病気や怪我を治す医療人。それから、「教える人」、教育者です。それから、「祈る人」、宗教家。集団が存立するためにはこの4つピラーがなくてはならない。基本動詞として言い換えれば「裁く」「癒す」、「教える」、そして、「祈る」です。この4つの基本動詞で人間集団は成立している。この四要素がそろっていないと、集団は維持できない。ですから、どんな集団も一定数この職業に強く惹かれる人たちがいるはずなんです。

 基本的なメンタリティとして「なんとなく癒やし系」の人って、たぶん全体の7、8%くらいはつねにいます。「教えることが好き」という人だともう少し多くて、たぶん全体の10%くらいいると思います。もちろんこの10%の人たちが全部教師になるわけじゃない。違う仕事に就いても、何かのもののはずみの時にふっと、「ちょっと教師やってよ」と言われた時に「あ、いいですよ」と即答してしまう。なんかできそうな気がして。

 ここにいらっしゃるみなさんも当然のことながら、実はある傾向性を持った方たちなんです。「癒し系」でも、ナースは魔女系なんです。で、ドクターは、これは自然科学の人なんです。そして、医療の妙味っていうのは、この自然科学系のドクターと、魔女系のナースが共同作業してるってことなんです。

 

 すごいおもろい話があって、また脱線しちゃうんだけども、ある女子大が看護学部を作った時にそこの先生になるナースの人たちと 『看護学雑誌』という雑誌で対談したことがあるんです。看護教育と女子教育について話をして、対談が終わった後、ご飯食べながら雑談してる時に、いろいろディープな話を聞きました。

 ナースっていうのはミステリアスなんですよ。いろんなことができるんです。その方は、病室で今晩越せない患者がいると「死臭がする」んだそうです。「ああ、もうこの人は今晩越せないな」とわかる。同僚には、今晩越せない患者がいると、「鐘の音が聞こえる」って人がいたそうです。ナースたちの間では「そういうことって、あるよね」で通るんですけれど、ドクターはそんな話をまったく信じない。そりゃそうです。科学的に何のエビデンスもないんですから。

 ところがその病院で、ある日、近くで大きな事故があった何かで次々と重傷患者が搬入されてくるってことがあって。そうするとトリアージしなきゃいけないわけです。限りある医療資源を生きられそうな患者に優先的に与えなければいけない。そうなると、もうドクターもしかたがなくなって、この二人のナースに「死臭してる?」「鐘鳴ってる?」って聞くようになったんですって。そういうことができるような人が医療家になるんです。