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この本で繰り返し強調されていることは三つある。一つは格差の拡大、一つは民主主義の危機、もう一つが「バラモン左翼」による言説支配である。
2023年11月16日の内田樹さんの論考「書評『新しい封建制がやってくる グローバル中流階級への警告』ジョエル・コトキン著、寺下滝郎訳、東洋経済新報社」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
標記の書物の書評を東洋経済オンラインから依頼されたので、こんなことを書いた。
タイトルから二つのことがわかる。「新しい封建制」が切迫していること。それによってもっとも大きな負の影響を受けるのがミドルクラスだということである。少し前にこのコラムで紹介した『意識高い資本主義が民主主義を滅ぼす』と問題意識の多くは共通している。超富裕層への富の集中、テックジャイアントの国家化、左右のポピュリズムの興隆、ミドルクラスの没落と民主主義の機能不全・・・どれも最近のアメリカの書物や論文に頻出する文字列である。でも、さすがに「封建制」まで踏み込んだ用例を私は知らない。さて、「新しい封建制」とは何か。
「今日、アメリカその他の国で出現しつつあるのは、新しいかたちの貴族制である。というのも、脱工業経済のもとで、富が少数者の手に集中する傾向がますます強まっているからだ。社会の階層化が進み、多くの人びとにとって社会的上昇の機会が狭まりつつある。(...)社会的上昇の道が閉ざされようとしているなか、自由主義的資本主義(liberal capitalism)モデルは世界中で魅力が褪せていき、いくつかの新しい教義が現れつつある。その一つが、新しい封建制(neo-feudalism)とでも呼ぶべきものを支持する教義である。」(36頁)
世界中の富を占有しているのはテックジャイアントのCEOたちを始めとする「寡頭支配者(oligarchs)」である。
「世界人口の上位0.1%が保有する世界の富の割合は、1978年には7%であったが、2012年には22%にまで増加したとされる。(...)2030年には、上位1%の富裕層が世界の富の3分の2を支配することになると予想されている。」(37頁)
そして、この寡頭支配を理論的に正当化する仕事を担っているのが「有識者(clerisy)」たちである。中世の封建制では聖職者が担ったこの役割を、現代世界では学者、メディア知識人、宗教指導者たちが演じている。アベ・シエイエスの区分を借りれば、彼らが第一身分と第二身分に当たる。そして、かつてフランス革命の主体となった第三身分の「平民たち」は現代では中流階級と労働者階級の二つに分かたれる。本書はこの「平民たち」に向けて、「立ち上がって寡頭支配と闘え」と訴えるために書かれている。
ただ、いきなり結論を言って申し訳ないが、本書はたしかに寡頭支配の現状については詳細に記述しているが、「平民たち」がどう運動を組織し、どのような綱領の下に連帯して、戦うことができるのかについての具体的な提言は特にしていない。もちろん、「どうやって革命を始めるか」を知りたくてビジネス書を手に取る人はあまりいないから、それは本書の瑕疵ではない。その代わり、これから世界がどういうディストピアになるかについて、著者はなかなか豊かな想像力を駆使してくれている。
英米人にはディストピアを詳細に描くことに異能を発揮する人が時々いる。オルダス・ハクスリー(『すばらしき新世界』)とジョージ・オーウェル(『1984』)がその代表格であるが、テクノロジーの暴走的進化によって世界が焦土になり、人類が未開状態に退化するという「ディストピアSF」はアメリカ人の独擅場である。「ディストピアと化したアメリカ」を描いたSF映画を私はたぶん100本は観ている。
なぜアメリカ人はディストピアを描くのがこんなに好きなのか。私は個人的な仮説を一つ持っている。それは「ディストピアを詳細に描くことによって、ディストピアの到来を阻止できる」という信仰をアメリカ人は深く内面化しているということである。現に、核戦争でアメリカが滅びる話を何百回も繰り返して語ってきたこの80年間、核戦争は起きなかった。
私は著者ジョエル・コトキンも、そのような信仰に涵養されて育った人ではないかと思う。だから、「ディストピアの実相」を描くことにはきわめて熱情的だが、「どうやって革命を始めるか」についてはあまり知的リソースを割く必要を感じなかったのだと思う。「ディストピアの実相を描くこと」そのものが「ディストピア到来阻止闘争」のきわめて有効な形態であるとアメリカでは広く信じられているからである。
だから、この本には「これでもか、これでもか」と現代資本主義の許し難い実相が(非体系的に)描かれるが、話がだんだん深まるとか、前段の記述を踏まえてその後に思いがけない仮説が展開する・・・というようなことは(あまり)ない。最初の章と最後の章で、もだいたい同じことが書いてある。でも、その代わりにどこから読んでもよい。どこかの頁をぱらりと開いて、そこに驚くべきことが書いてあったら、赤線を引いて、それを知らぬ人たちに告げ知らせることができるし、たぶんそういう読み方を著者自身が望んでいるのだと思う。
この本で繰り返し強調されていることは三つある。一つは格差の拡大、一つは民主主義の危機、もう一つが「バラモン左翼」による言説支配である。とりあえずコトキンの主張を順番に紹介してゆこう。まずは格差の拡大について。
「2018年までに、テック企業4社(アップル、アマゾン、アルファベット[グーグル]、フェイスブック)の純資産の合計は、(...)フランスのGDPに匹敵する額に達した。世界で最も資産価値の高い企業10社のうち7社がテック業界に属している。テックジャイアントとも呼ばれる巨大テック企業は、巨額の個人資産を生み出しており、地球上でもっとも裕福な20人のうち8人はテック業界で財を成した人びとである。40歳以下の富豪13人のうち9人がテック業界の人間であり、しかも全員がカリフォルニアに住んでいる。」(75頁)
そんなことになっているとは知らなかった。全員がカリフォルニアですか。そして、この富の集中は雇用の消失をもたらしている。
「テクノロジー主導の社会では、科学や技術に秀でた『選民』とその他大勢の格差が広がる傾向にある。今日、10億ドル規模のビジネスを立ち上げようと思えば、コーダーや金融の専門家、マーケティングの達人など、ごく少数の集団で十分であり、ブルーカラーや
中間管理職はあまり必要ない。」(68-9頁)
デジタル企業の創業者へのインタビューによると、「創業者らの多くは、『少数の非常に才能豊かな人や独創的な人が経済的富のますます多くの部分を生み出すようになり、その他の人びとは単発・短期の仕事を請け負う"ギグ・ワーク"で収入を得つつ、政府の援助を受けながら生活していくのだろう』と考えているようである。」(85頁)
「お払い箱」になった労働者たちは当然貧困化する。
「カリフォルニア州の社会秩序を特徴づけているのは、いまや流動性(社会的上昇)ではなく、階層化である。(...)米国勢調査局によると、カリフォルニア州の貧困率は全米で最も高くなったという。(...)カリフォルニア州の3分の1近くの家庭が、請求書の支払いをするのがやっとの状態であることが明らかになった。現在、カリフォルニア州の住民のうち800万人(うち児童200万人)が貧困にあえいでいる。」(98頁)