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どこにどんな「限度」があるのか、それはあらかじめ予示されているわけではありません。限度を超えた後になって、「限度を超えた」ということがわかる。限度はつねに事後的に開示されるものだからです。
2023年12月2日の内田樹さんの論考「暴力について」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
ハマスのテロによってイスラエル国民1400人が死にました。ですから、ガザ侵攻は自衛権の発動として当然だというのは「原理的には」正しい言い分です。でも、その「自衛権の行使」で、ガザでは非戦闘員である市民たちが13000人殺され、医療施設や教育施設や宗教施設など、軍事目標にしてはならない建物が爆撃されました。そうなるとこれは「自衛の過剰」ということになる。「自衛をすることは許されるが、自衛的暴力にも限度がある」というのもまた国際社会の常識です。ことは「限度を超えた」という程度の問題なのです。
どこにどんな「限度」があるのか、それはあらかじめ予示されているわけではありません。限度を超えた後になって、「限度を超えた」ということがわかる。限度はつねに事後的に開示されるものだからです。
仮に、イスラエルの攻撃がハマスの軍事拠点だけに限定されており、イスラエルの兵士たちが非戦闘員の被害を最小限にとどめる努力をしていたら、国際世論はあるいはイスラエルに与したかも知れない。でも、そうはならなかった。「限定」し、「とどめる」努力を怠ったからです。
正義はどちらかの陣営にあらかじめビルトインされているわけではありません。どちらにも戦う大義名分があります。でも、「限度を超えた」側は「正義を主張する権利が目減りする」。それだけのことです。
-哲学者ジジェクは、「ハマスとイスラエルの強硬派はコインの裏表だ。私たちは、境界線をハマスとイスラエルの強硬派の間に引くのではなく、二つの極端な勢力と平和な共存の可能性を信じる人たちの間に引かなければならない」と指摘しています。この点についてはどう思われますか。
内田 ジジェクが言いたいことはよくわかります。でも、「境界線」という言葉を僕なら使いません。そういう言葉を使うことでより効果的に暴力が抑制されるとは思わないからです。
「平和な共存の可能性を信じる人」も自分の家族や友人が殺されたら、信念が揺らぐかもしれないし、「戦いでしか未来は実現しない」と信じる人もあまりに多くの流血を見た後には戦うことの虚しさを感じるかもしれない。
僕の若い友人である永井陽右君はソマリアでゲリラからの投降兵士の社会復帰を支援するという活動をしています。少年兵としてリクルートされて、戦い続けてきたゲリラ兵士たちが「戦うことにうんざりして」市民生活に戻りたいと思う気持ちに応えるという仕事です。永井君たちの努力は「境界線」を「越境可能」な状態にすることに向けられています。これは果てしない暴力の中で疲弊しきったソマリアが最後にたどりついたひとつの実践的結論だろうと僕は思います。
敵味方の「境界線」を固定化しないこと。境界線があると、原理主義者はそれを超えることができない。原理主義者に「スティグマ」を刻印してはいけない。「極端な人」を「ふつうの人」の陣営に回収する努力を「ふつうの人」たちは止めるべきではない。
-先の大戦の教訓を活かせず、人類はなぜ「ジェノサイド」を止められなかったのでしょうか。
内田 今回のガザ侵攻が「ジェノサイド」であるかどうかはまだ国際的合意ができていません。1948年に制定されたジェノサイド条約による定義は(1)集団成員を殺害すること(2)集団成員の心身に深刻な危害を加えること(拷問、強姦、薬物投与など)(3)集団の破壊をめざす生活条件を強制すること(医療や教育機会の剥奪、強制収容、強制移住など)(4)集団内における出生を妨害すること(5)集団の子どもを強制的に他集団に移すこと、とされています。
イスラエルはガザのパレスチナ人をこれまで「巨大な監獄」の中に閉じ込めて、さまざまな生活条件の妨害を行ってきています。これはすでに「ジェノサイド」の(3)の要件を満たしていると言えるかも知れません。
このあとガザでの戦闘で、イスラエル軍の側に非戦闘員とハマスの戦闘員を区別する努力がまったく見られなかった場合には(1)の「集団成員の殺害」が適用されるかも知れません。
イスラエルの軍事行動が「ジェノサイド」に認定されることにアメリカやヨーロッパ諸国は反対するでしょうが、国際世論はイスラエルの暴力に歯止めがかからなければ、これを事実上の「ジェノサイド」であると認定するでしょう。
もちろん、だからと言って、国際社会にはイスラエルに具体的な「罰」を与える権限はありません。彼らの軍事行動を実力で止めることもできない。
でも、イスラエル国民はこれから長く国際社会においては「イスラエル国民」であると胸を張って名乗ることが難しくなるでしょう。人によってはその事実を恥じるようになるかも知れない。いずれにせよ、その名乗りが海外で暖かい歓迎を受ける可能性はこれから先きわめて低くなるはずです。身の安全を配慮したら、どこの国のパスポートを持っているか訊かれても答えないというような態度を取らざるを得ないようになるでしょう。
イスラエルが再び国家としての尊厳と信頼を回復したいと望むなら、今回ネタニヤフ首相が主導した戦争犯罪を認め、その責任を彼ら自身の手で徹底追及し、パレスチナの人たちに謝罪することについての国民的合意を達成しなければならない。それしか手立てはありません。
僕たちにできるのは「ジェノサイドは割りに合わない」という経験則を人類全体が共有するように努めることです。時間がかかりますけれど、人類の学習速度は非常に遅いのです。