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かつて秦がその精強を以て次々と諸国を滅ぼしたとき、最後に斉と楚が残った。斉の臣は諫言して、今は楚と同盟して秦に対抗すべき理を説いたが、斉王は耳を貸さず、秦王と組んで楚を滅ぼした。秦はそのあと当然のように斉を討ち滅ぼして天下を統一した。
2023年12月23日の内田樹さんの論考「樽井藤吉の「大東合邦論」」(後篇)をご紹介する。
どおぞ。
樽井は日韓の合邦は説くが、清国との合邦は難しいと書く。ほんとうなら東アジア全体が一連邦をなすことが望ましいのだが、そのためには「漢土、韃靼、蒙古、西蔵の諸邦」が「その自主を復し」、いずれもが独立国であることが条件となる。だが、清国が韃靼、蒙古、西蔵をあくまで自国辺境の属国とみなして、宗主権を手離さないのであれば、日本からするその呼びかけはこれらの辺境諸邦に清国からの独立・内乱を指嗾するものとなる。これは清国にとっては許し難いことだろう。
「ゆえにわが日韓、よろしく先に合して清国と合縦(がっしょう)し、もって異種人の侮りを禦(ふせ)ぐべし。合縦と合邦はおのずからその制を異にす。」
それでも日清両国の連携はこれからも目指さなければならない長期的目標である。今、東アジアが植民地化されずにいるのは、日本と清国という二つの強国が東アジアにあるからである。
「東亜幸いにしてこの二強国有って、わが黄人種の威厳を保つ。もし黄人中この二国無くんば、かの白種人まさにわがアジア全洲を蹂躙(じゅうりん)し、わが兄弟黄人を奴隷にすること、アフリカの黒人と何ぞ択(えら)ばん。」
かつて秦がその精強を以て次々と諸国を滅ぼしたとき、最後に斉と楚が残った。斉の臣は諫言して、今は楚と同盟して秦に対抗すべき理を説いたが、斉王は耳を貸さず、秦王と組んで楚を滅ぼした。秦はそのあと当然のように斉を討ち滅ぼして天下を統一した。
樽井は日清両国は「斉と楚」であると言う。連合して戦えば「白人に敵するに足る」が、白人による離間工作に乗ぜられるなら、どちらも滅びる。だが、清国はアヘン戦争以来中国領土を蚕食している当の英国と結んで、日本を遠ざけようとしている。なぜ「同種の友国と協和して異種人の侮りを禦がざる」か。
清は今や日韓合邦の最大の障害となっている。日韓両国は独立国である。独立国同士が合邦を議することにどうして介入するのか。もし朝鮮は清国の属国であるからというのであれば、韓国皇帝が形式的に臣下の礼を取ることに日本は反対しない。臣下の礼を取っているのはあくまで君主一人であり、国民全体が清国の臣下であるわけではないからだ。樽井はそう論じる。
「大東合邦の事、清国に益あって害無きや、かくのごとし。(...)それ不利を感ずるものは清国にあらずして、必ず泰西の白人なり。」
清の東方に列強の侵攻の「楯」になる一大強国が出現するのである。
「もし日韓をして盛大を致さば、これ清国の強援たるなり。(...)朝鮮をして恃むに足るの友国たらしむるは、清国今日の急務なり。」
樽井はさらに論を進めて、清がその「祖宗建国の志」に立ち還り、安南を援けて、「自主独立の権」を復さしめ、さらに「シャム・ビルマを連合し、マライ半島をして白人の羈絆を脱せしめ」、インドまで交通を開き、インド人をして「英人の驕慢を挫き」、大義を以て立てば「四方の諸国招かずして来たらん」とまで説く。何年かかるか分からないけれども、清はこの「アジア黄人の一大連邦」を目指すべきなのである。そして、樽井はこう結論する。
「かの白人、わが黄人を殄滅(てんめつ)せんと欲するの跡歴々として徴すべきもの有り。わが黄人にして勝たずんば白人の餌食とならん。しかしてこれに勝つの道は、同種人の一致団結の勢力を養うに在るのみ。」
人種間戦争というアイディアはこの40年後の石原莞爾の『世界最終戦論』でも繰り返されている。
「目下、日本と支那は東洋ではいまだかってなかった大戦争を継続しております。しかし、この戦争も結局は日支両国が本当に提携するための悩みなのであります。(...)明治維新後、民族国家を完成しようとして、他民族を軽視する傾向を強めたことは否定できません。台湾、朝鮮、満洲、支那に於て遺憾ながら他民族の心をつかみ得なかった最大原因はここにあることを深く反省するのが、事変処理、昭和維新、東亜連盟結成の基礎条件であります。(...)今日の世界的形勢に於て、科学文明に立ち遅れた東亜の諸民族が西洋人と太刀打ちしようとするならば、われわれは精神力、道義力によって提携するのが最も重要な点でありますから、聡明な日本民族も漢民族も、もうまもなく大勢を達観して、心から諒解するようになるだろうと思います。」
石原の「東亜連盟」は日本、中国、満洲によって構成される。近衛文麿の「東亜新秩序」、東條英機の「大東亜共栄圏」構想と表現は多少変わるけれど、アジア諸国を侵略し、収奪しながらも、敗戦に至るまで日本人はこのタイプのアジア連邦構想を語り続けた。われわれの軍事行動は侵略や収奪や植民地化ではない。巨視的に見るならば「西洋人と太刀打ち」するためのアジア諸民族の連邦形成の努力なのだというエクスキューズを敗戦の日まで日本の戦争指導部は手離さなかった(今も「大東亜戦争はアジア解放闘争だった」と主張している人たちはいる)。それだけこのアジア連邦というアイディアは私たち日本人にとって、思想的な求心力を持つものだということである。
アジア主義という思想と運動は定義不能だと竹内好が書いていることはさきほど引用したが、アジア主義が定義不能なのは、それが氷炭相容れざる無数の思想的立場を惹きつけてやまない「求心力」のようなものだからではないかと私は思う。征韓論から大東合邦論を経て大東亜共栄圏まで、革命家も植民地主義者も軍人もビジネスマンも、思想的立場も利害も超えて、このアイディアの前にはまことに無防備であった。私はそのことに興味を抱く。どうして、明治・大正・昭和の日本人たちはアジア主義の求心力にこれほど無抵抗に屈服したのか。なぜそれに対抗する政治的言説が存在しなかったのか。
例えば、アジア諸国との連携よりも欧米諸国との連携を先すべきであるということをはっきりと主張した言説がこの時期にあっただろうか。アジア主義への対抗言説として私がいま思いつくのは福澤の「脱亜論」を除くと、日本はユダヤ人と連携して世界支配をめざすべきだという「日猶同祖論」くらいしかない。
「脱亜論」は友人金玉均を惨殺されたことに対する福澤の感情的な反発の産物であって、長期にわたって熟成した思想とみなすことはできない。それに結果的に福澤の「脱亜論」は日本人のうちに朝鮮・中国を見下す心性を形成することによって、アジア主義をむしろ加速した。
「日猶同祖論」はたいへん興味深い論件であるけれども、ここでは深く論じるだけの紙数がない。この論は明治時代に主にアメリカ留学経験を持つクリスチャンの青年たちによって語られ始めた。彼らはアメリカに行って、彼我の文明の差に愕然とした。その時に彼らはアメリカ社会で(黄色人種同様に)差別を受けているユダヤ人たちにねじれた同胞意識を感じた。そして、「日本人とユダヤ人はともに欧米社会で迫害されている。それはこの二つの人種集団が欧米列強と対抗しうる例外的な存在だからである。日本人とユダヤ人は欧米諸国を圧して、世界を睥睨することを聖史的使命を託されている」というふうに論を展開したのである。「ユダヤ陰謀論」とハイパー・ナショナリズムが混淆した不思議な言説であるが、「日本人とその同胞が欧米列強と戦う」という構図そのものはアジア主義と同じである。
石原莞爾は満洲をユダヤ人の「ホームランド」として、そこにディアスポラのユダヤ人を迎え入れ、そこに世界のユダヤ資本を呼び込むことで産業の近代化を果たし、あわせて在米ユダヤ人を利用してアメリカ国内に「親日世論」を形成するという夢想的な計画を立てたことがある。石原の脳内では満洲は五族協和の「王土」だったから、これはシオニズムと日猶同祖論とアジア主義の混淆ということになる。
「日本人を含む五族とユダヤ人」が同盟関係を結んで欧米列強と対抗するのである。どこでも「日本人が同胞と同盟して欧米列強と戦う」という構図だけはほとんど強迫的に反復される。「同胞」としてどの民族を選ぶかということにはもしかすると副次的な重要性しかないのかも知れない。
ここからいささか暴走的な思弁を弄することになるが、戦後日本の歴代の保守政権が採用してきた「対米従属を通じて対米自立を図る」という国家戦略は、よく見ると「アメリカと同盟して、アメリカの支配から脱する」という構図である。まったく非論理的だが、構図そのものはアジア主義と同型的である。これが「非論理的だ」ということに戦後80年間にわたって日本人が無自覚でいるという事実そのものが、アジア主義の構図がいかに深く日本人に内面化しているかを明らかにしているとは言えまいか。
アジア主義の構図は日本人に血肉化した一種の「民族的趨向性」である。そう仮定すると、近代史のさまざまな事件が一つながりの出来事として説明できるような気がする。