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僕の政治的立場をもし一言で述べよと言われたら、僕は「分派」であると答えたいと思います。
2024年1月15日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ「内田の政治的立場は何か?」」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
―韓国では、内田先生は「リベラル知識人」として広く知られています。実際に多くのマスコミでは、内田先生のことを「リベラル知識人」として紹介されています。
しかし、およそ十年以上先生のほとんどのご著作を読みふけるだけでなく、新聞・雑誌・Webメディアなどの媒体に寄稿された文章を読んだり、先生が出演されているラジオ番組などを聴いている者としては、内田先生のことを「リベラル知識人」として簡単に決めつけてしまうのはちょっと違うのではないかと思われます。
たとえば、先生の「教育論」などを読んでいると、 「学校教育は惰性の強い制度であり、社会の変化に即応すべきではない。変化しないことこそが教育の社会的機能なのである」というフレーズをよく目にいたします。こういう先生の「教育」についての知見は明らかに「保守的な」考え方ですよね。
そうしているうちに先日、 中島岳志さんが書いた『「リベラル保守」宣言』という本を拝読しました。この本を読んでいるうちに内田先生はもうしかしたら「リベラル保守知識人」ではないかという気がしてきました。というのは、この本で、「リベラル保守」は人間の生き物としての訴えに配慮するだけではなく、「歴史的に蓄積されてきた社会的経験知」と「慣習や社会制度を媒介として伝えられてきた歴史の『潜在的英知』」(33頁)にも耳を傾けるという知見に出会ったからです。
でも、そう思うや否やこの間「隣町珈琲」で行われた漫画家の安彦良和さんとの対談をリモートで観させていただきましたら、先生は「おれは、日本列島から出たくないし、日本の食べ物を食べないと生きている気がしないし、普段から自分のことを『天皇主義者』だと名乗っているし、『 権藤成卿論 』も最近書いているから明らかに右翼です」と、言われました。
この話を拝聴して驚かされると同時にちょっと混沌としてしまいました。
「おとな」は、システムにとっての最適選択をするために「私」を決して固定化しないというのは、内田先生の普段の知見だとは思っていたのですが、それにしても正直びっくりせざるをえなかったのです。
もしかして、これは「君子豹変す」ということでしょうか
現代の多くの韓国人(日本人もそうだと思いますが)は「リベラル」や「保守」そして「右翼」や「左翼」などについて本当はよくわかっていないのではないかという気がしてなりません。韓国や日本のテレビなど観ていると、多くの人が政治の世界をいつも「保守vsリベラル」の戦いだと思い込んでいるようです。
この機会に、内田先生が考えていらっしゃる「リベラル」や「保守」や「リベラル保守」そして「右翼」などの定義を韓国の読者に届けていただければ幸いです。
こんにちは。今回もなかなか日本では向けられない質問ですね。果たして私は政治的に何者であるのか。
実はそれは僕自身にもよくわからないのです。
ご存知の通り「右翼左翼」というのはフランス革命のときの憲法制定国民議会における議席配置に由来します。旧秩序の維持を支持する人たちが議長席から見て右側の席に、体制革新をめざす人たちが左側の席を占めたところから始まった用語です。以後、そのつどの体制について現状維持派が右翼、現状革新派が左翼と呼ばれました。
そして、当然ながら時代ごとに「現状」や「体制」は変わりますので、それを維持する人、刷新したいと思う人の頭の中味も変わります。つまり、「左翼」や「右翼」という分類はある特定の社会についてしか分類指標として機能しないということです。
20世紀の初めに、因習的な左翼・右翼の区分を否定する動きがありました。「極右」と「極左」の同盟という政治的な動きです。フランスのセルクル・プルードン(Cercle Proudhon)が代表的なものですけれども、政治的立場がどうであれ、「戦うもの/戦わないもの」の間に本質的な対立があるという新しい政治思想です。もともとの政治思想が右翼であれ左翼であれ、ほんとうに愛国者であれば、国力の増大・国運の興隆・国民の幸福をめざすはずである。その目的が同じなら、それを実現するための組織や運動をどのような政治的思想によって基礎づけようと、それは各自ご自由に、という考え方です。
実際に、1920~30年代の大戦間期にフランスでは、極右王党派と共産党から飛び出した過激派左翼の「同盟」が実現しました。どちらも既成の右翼・左翼からの「分派(dissident)」者たちです。集団が活性化するためには「分派が必要だ」と、当時王党派からの分派であったモーリス・ブランショは熱く語っておりました。
ご存知の通り、僕はブランショの文学理論について修士論文を書きました。でも、その政治思想にもずっと興味を持っていました。そして、彼の主張する「分派」主義にも深い共感を覚えました。それはそのまま彼の文学理論と同型的なものであり、人間の本質についての洞見のように思えたからです。
ですから、僕の政治的立場をもし一言で述べよと言われたら、僕は「分派」であると答えたいと思います。
僕はマルクスについてずいぶんたくさん書いてきました。ですから、僕のことをマルクス主義者だと思っている人も多いと思います。
『若者よマルクスを読もう』は全5巻のシリーズで、『共産党宣言』から『資本論』までを解読して、若い読者に「ぜひマルクスを読んでください」と懇請するという趣旨のものです。この本の共著者の石川康宏さんは正統的なマルクス主義者で、日本共産党のブレーンの一人です。
でも、僕はマルクス主義者(Marxiste)ではありません。マルクスの思想や考え方や修辞には深い敬意を抱いていますけれども、マルクス主義者ではありません。かつて僕の師のエマニュエル・レヴィナスは「マルクスの思想をマルクスの用語で語るのがマルクシスト(Marxiste)であり、マルクスの思想を自分の言葉で語るのはマルクシアン(Marxien)である」という独特の定義を下したことがあります。その定義に従うなら、僕はマルクシアンです。マルクス主義者たちの「正統」からすれば、「異端」であり、「分派」とみなされるでしょう。