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この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。それは、これからもこうした作品を作ることが可能になったと続く人々を勇気づけることだからだ。
2024年1月25日の内田樹さんの論考「福田村事件」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
ある媒体から『福田村事件』についてのコメントを求められたので、こんなことを話した。
関東大震災時に起きた虐殺事件を描いた映画『福田村事件』が公開中である。私は、この映画のクラウドファンディングに参加しており、本作を応援する者として、この映画を1人でも多くの人に観てもらいたいという思う。
本作はオウム真理教を描いた『A』『A2』、『FAKE』など良質なドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた森達也監督の初の商業劇映画である。私がクラウドファンディングに出資しようと思ったのは、扱いの難しい題材をエンターテイメント作品として撮ろうという森監督の野心を多としたからである。
福田村事件とは、1923年9月1日に発生した関東大地震の5日後、千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた被差別部落出身の行商団のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された事件のことである。行商団は讃岐弁で話していたことで朝鮮人ではないかと疑われ殺害された。自警団員8人が逮捕されたが、逮捕者は大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された。
この映画は朝鮮人差別、部落差別という日本歴史の暗部を前景化する。同じ題材を扱ったドキュメンタリーや劇映画はこれまでいくつもあったけれども、商業映画として製作され、かつ商業的に成功したという例を私は知らない。
製作費をクラウドファンディングで募るほどであるから、ギャラは決して高くはなかっただろうが、それにもかかわらず、井浦新、田中麗奈、永山瑛太、柄本明、ピエール瀧、水道橋博士、東出昌大といった俳優たちが参加して、監督と脚本家の構想に命を吹き込んだ。それは俳優たちにも、「こういう映画」が日本でも撮られるべきだという思いがあったからだと思う。
「こういう映画」とはどういう映画か。それは単に自国の歴史の暗部を明るみに引き出す映画ということではない。いくら政治的に正しい意図で制作されても、それが単なる単純な善悪二元論で描かれるなら、商業的成功は望めない。エンターテインメントとして成功するためには、出てくるすべての人物が単なる「記号」ではなく、一人一人に奥行きと厚みがなければならない。この世には単純な善人もいないし、単純な悪人もいない。すべての登場人物が卑しいところも弱いところも抱えており、その一方では勇気や善意も持つ、複雑な存在である。そういう人たちが、たまたまある時、ある場所で、思いもかけない出来事に遭遇して、思いもかけない役割を果たす...という「運命の不可思議」を感じさせないと、観客は映画を観て「感動する」ということは起こらない。実際に私たちの現実はそのように編み上げられているからだ。
近年、韓国の映画やドラマは自国の歴史の暗部を掘り起こす作品を次々に送り出している。李氏朝鮮末期、植民地時代、軍事独裁時代を舞台に、さまざまな人物が歴史的舞台のうちに登場する。もちろん日本人も出てくるけれども、それはステレオタイプ化された「悪人」ではなく、しばしば重層的で深みのある複雑な人物として描かれている。それは、もう単純な「自民族中心主義史観」で制作された作品はエンターテインメントとして成立し難いところまで韓国の観客の鑑賞眼は成熟しているということを意味している。
日本ではそのような作品が作られないことを私は久しく残念に思っていた。だから、『福田村事件』の企画を聞いた時に、遂に日本でも歴史の暗部を掘り起こしながら、それをエンターテインメントに仕立てることのできる作品ができるかも知れないと思った。そして、実際に映画を観て、本作が日本映画史に新しい扉を開いた一作になったと感じた。
あるいは公開に際して、政治家からの介入があったり、上映妨害運動があるかと思ったけれども、それもなかった。この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。それは、これからもこうした作品を作ることが可能になったと続く人々を勇気づけることだからだ。