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集合的な知的パフォーマンスを向上させる人を僕は「知性的な人」とみなします。
2024年1月28日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(前編)をご紹介する。
どおぞ。
第二番目の質問は、内田先生が学者としていままで創り上げられた「学知」などがありましたら教えて頂ければ幸いです。
さあ、これが最後の質問ですね。これもまた、日本のメディアから一度も訊かれたことのない問いです。せっかくの機会ですので、真剣にお答えすることにします。
僕が長期にわたって専門的な訓練を受けたのは、20世紀のフランスの文学・哲学の研究と、武道(合気道)の二つの領域です。この二つについては「それでご飯が食べられるくらい」の訓練は受けてきました。
フランス文学・哲学についての業績はレヴィナス三部作(『レヴィナスと愛の現象学』、『他者と死者』、『レヴィナスの時間論』)と『前―哲学的』に収録されたいくつかの学術論文があります。『私家版・ユダヤ文化論』も長年にわたる思想史研究の成果ですから、学術的業績にカウントしてよいと思います。助手時代から書いた学術論文はその多くがそのあと単行本として出版されました。中には賞を頂いたものもありますから、学者としてはまことに恵まれた人生だったと思います。
ただ、僕はフランス文学・哲学の研究者としては評価があまり高くありません。いや、正直に「低い」と言った方がいいですね。僕がメディアに出る場合、つけられる肩書は多くの場合「思想家・武道家」です。「翻訳家」と紹介される場合もありますし、「評論家」とか「哲学者」という肩書を付けられたこともあります。でも、「仏文学者」という肩書でメディアに登場したことは過去に一度もありません。なぜ日本のメディアは僕を「仏文学者」として認定してくれないのでしょう。これはメディアの側にやはり一つの暗黙の合意があるのだろうと僕は思います。僕は「思想家」や「評論家」ではあっても、「学者」ではないという合意です。
なぜ、僕は学者としては認知されないのでしょうか。
これは友人の研究者から聞いた話です。彼が学会のあとの懇親会で若手研究者たちとおしゃべりしているときに、たまたま僕のことが話題になったそうです。そのときに、40代の研究者たちが口を揃えて「内田はダメだ」という辛い評価を下したそうです。友人は興味がわいて「どうして?」と訊いたら、「自分の専門外のことに口を出し過ぎる」という答えだったそうです。
たぶん、この評語は、僕についてついてまわるものだと思います。なぜ、ひとつの専門領域に自分を限定せずに、あれこれと口を出すのか。彼らのその言い方には「怒り」に近いものが感じられます。
たぶん僕は「ルール違反」を犯しているのだと思います。それは若い人たちも、研究者・学者として生きることを選んだ時点で受け入れたルールです。それを受け入れないとアカデミアでは生きていけないと思った。でも、僕は「ルール違反」を犯しながらなお大学の教師をしたり、研究書を書いている。内田のケースはあくまで例外的であり、本来学者として許される生き方ではない。そういう暗黙の合意があるのだと思います。僕の生き方をアカデミアに対する敬意の欠如だとみなすなら、彼らの「怒り」もわかります。
では、僕が犯している「ルール違反」とは何か。
それは僕が研究対象について「一望俯瞰的」な仮説的立場をとらない/とることができない、ということにあるのだろうと思います。
学術論文において、主語は「私たち(We/Nous)」を用いるのがふつうです。それは研究を導いているのは、個人ではなく、ある種の「集団的な知性の働き」のようなものだとされているからです。抽象的で、透明で、いかなる主観性からも離脱し、もちろん身体も持たない「私たち」が研究の主体に擬されている。そして、この身体をもたないし、個人史も持たない「私たち」は高みから、自分自身の研究の論程を一望俯瞰している。
これが学術論文を書く時の基本的な作法です。朴先生もそういうアカデミアのルールは熟知されていると思います。
ですから、論文の「序文」において、「私たち」は、これから自分が行う研究の全行程を鳥瞰的に眺め、論程をざっと要約して、結論がいかなるものであるかを予示できる者として登場します。論述が始まる前の時点で、すでに論文の結論まで知っているものが「私たち」です。そういう観想的な「私たち」を主体に擬すことなしに学術論文は書くことができません。
僕もある時期まではそういうスタイルで書いて来ました。序論を書いている時点で結論まですでに見通しているような「透明な知」の名において論文を書いてきました。『前―哲学的』をお読みになったときに、朴先生はおそらく「これらの論文を書いているときの内田の書き方って、今とずいぶん違うな・・」という微妙な違和感を覚えたのではないかと思います。自分で読んでもそう思います。それはとりあえずの論件については「観想的主体」として書いているからです。「このトピックにかかわる必要な学術情報を私たちは上空から俯瞰しており、それらを熟知した上で書いているように書く」というのが学術論文を書く時の基本的なマナーです。
だから、学会で発表している人間に対して、「あなたは、この論件について書かれた・・・の論文を読んだか?」という質問が致命的なものになり得るのです。この問いに対して「知りません」と答えるのは、アカデミックな基準では「負けを認めること」を意味します。
僕は学会でそういう場面に何度も立ち会いました。そして、「・・・を読んだか?」「なぜ、・・・に言及していないのか?」という知識の欠如を一つでも指摘すると、発表者に致命傷を与えることができるという「アカデミアのルール」に対して、ある時期から深い疑問を抱くようになりました。
自分の論程の全体をはるか高みから一望俯瞰しているという「設定」は、そんなに必須のものなのだろうか。網羅的であることは研究にとってそれほど本質的なことなのだろうかと思い出したのです。「なかなか独創的で生産的なアイディアを提示したのだけれども、これについて研究する人間なら当然読んでいるべき基礎的文献を読み落としていたので、学術的には価値がない」という推論は間違っていると僕は思います。
というのは、学問というのは「集団的な営為」だからです。誰かがある知識を欠いていたとしても、別の誰か、その知識を持っている人が、「ほい」とそこに補填してあげれば、その人の研究のうちで価値あるものは「価値あるもの」としてそのまま救い出すことができる。まとめて「ゴミ箱」に放り投げるより、ずっとその方が生産的です。
何より僕が「豊かな研究」と評価するのは、その人がその研究をしたことによって、反論であれ、擁護論であれ、解釈であれ、祖述であれ、多くの人が「それについて語る」ような研究です。集団的な知の活動を解発するような研究です。集合的な知的パフォーマンスを向上させる人を僕は「知性的な人」とみなします。僕はある時期からそんなふうに考えるようになりました。