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内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(後篇) ☆ あさもりのりひこ No.1485

学術研究が集団の営為であり、すべての研究者たちは、過去の人たちも、これから生まれてくる人たちも含めて「研究者集団」という多細胞生物をかたちづくっていて、自分はそのうちの一細胞なのだ

 

 

2024年1月28日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(後篇)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 若い学者たちが僕の態度を「ルール違反」と感じたのは、ただ僕があれこれ専門外のことに口を出すということではないと思います。そうではなくて、僕が「私たち」という匿名的な知の主体として語ることを止めたからだと思います。僕は個人史を持ち、身体を持ち、それゆえ固有の無知や偏見や感情に囚われた一人の人間として研究をしています。「私たち」を棄てて、「私」という一人称単数形で語ります。それがおそらく「ルール違反」と認定されたのだと思います。だって、無知や偏見込みで語ることができるなら、「どんなことについても、何でも語れるじゃないか」ということになりますから。

 いや、まことにその通りなんです。僕がどんなことにも無節操に口を出すのは、「何でも語れる」からです。僕は「大きな主語では語らない」。「私」の固有名において語り、語ったことがもたらす責任は自分ひとりで引き受ける。僕は別に真理の名において語っているわけじゃありません。「私の個人的意見」を述べている。

 でも、勘違いして欲しくないのですが、そう腹をくくっていられるのは、僕が学者たちの集合的な営みに深い信頼を寄せているからです。

 僕が「学術的貢献」というものを果たし得るとしたら、それは集合的な知的生産のうちで「僕以外の誰にでも代替できない仕事」をすることによってです。「他の人でもできることを他の人より手際よくやる」ことによってではありません。僕は自分の仕事をする。それは、僕が「他の研究者たち」の誠実な仕事ぶりを当てにしているからです。僕が断片的であることができるのは、僕の断片的な知でも、「他の研究者」たちのかたちづくる集合的学知に加算してもらえると、それなりの有用性を持ち得ると信じているからです。

 一人であれもこれもやる必要はないんです。野球で守備をするときに、一人で投げて受けて守備をして・・・ということはできません。僕がもしライトなら、ライトの守備範囲だけきちんと守っておけばいい。一人で全フィールドを走り回ることなんかない。その代わりにライトから見えた夕暮れの空の色や、吹き抜ける風の冷たさや、観客たちの声や、流れて来るポテトチップの匂いや、ライトフライを取るときぶつかったフェンスの感触をきちんと経験しておいて、それをその時ライトを守っていなかったすべてのプレイヤーのために、その時に球場にいなかったすべての人たちのために記憶し、記述することの方が、ずっと有用なんじゃないか。ある時期から僕はそんなふうに思うようになりました。

 僕の仕事はごく断片的なものに過ぎない。僕が目を通した文献や史料は、僕が直感的に手に取ったものだけで、まったく体系的でも網羅的でもありませんでした。でも、それでいいじゃないか、と。それは他ならぬ僕固有の断片性だからです。僕がある本を読み、ある本を読まなかったのは、僕なりの無意識の選択の結果です。でも、こういう言い方を許してもらうなら、僕の断片性は僕だけのものだし、僕の無知は僕だけのものであり、その断片性と無知には僕の固有名が記されています。そして、このような個人名を刻印された無数の「断片性と無知」の総和として集合的な学知は成り立つ。僕はそんなふうに考えています。

 

 研究論文を書く時に、「大きな主語」で語る必要はない。そう思うようになってから、僕はずいぶん自由になったように思います。もし僕が「私たち」的な学術主体を書き手に擬していたら、レヴィナス三部作は書かれなかったでしょう。だって、もしも、「リトアニアの歴史と地政学を知り、ロシア語とドイツ語とヘブライ語を習得し、篤学のラビについてタルムードの弁証法を学ぶことなしにはレヴィナスを語る権利はない」という人が出て来たら、あるいは「そもそも自分自身が反ユダヤ的迫害も戦争も捕虜生活もホロコーストも経験していない人間にレヴィナスを語る資格はない」という人が出てきたら、僕は黙るしかないからです。でも、僕は黙りたくなかった。

 それは「弟子」というポジションから書きたかったからです。「私たち」という鳥瞰的・観想的な主体から書くことを放棄して、僕は研究対象について「よく知らない、でももっと知りたい」という欲望に駆動されて書くことを選びました。それは手探りで暗闇の中を進んでゆくような研究の仕方です。ですから、序論で全体を予示することもできないし、ある結論に至るために過不足なく材料を調えることもできません。直感に導かれて書いているうちに、うまい具合に見通しが立つ場合もあるし、袋小路に入り込んでしまって分岐点まで引き返してやり直しをすることもあるし、同じ話を何度も何度も繰り返すということもあります。どれも「私たち」が一望俯瞰して書く学術論文では許されないことです。でも、僕はある時期からどれほど不細工でも、「正直に書く」ことを最優先するようにしました。

 その結果、僕の書くものはどれも「長い断片」になりました。ごく個人的な知見を書き綴ったものです。それでも、集合的な学知の「素材」くらいにはなると思って書いています。

 学者の野心は「最後の、決定版の研究論文」を書くことだと僕は思いません。その人がその論文を書いたせいで、もう誰もその論件については語らなくなった・・・というようなものを書くことが学者の栄光であると僕は思いません。むしろ、その人がその論文を書いたせいで、「われもわれも」とその論件について語り出す人が出て来た・・・ということの方を学者は喜ぶべきではないでしょうか。

 残念ながら、僕のような学問理解をする人は、日本のアカデミアでは例外的少数です。学術研究が集団の営為であり、すべての研究者たちは、過去の人たちも、これから生まれてくる人たちも含めて「研究者集団」という多細胞生物をかたちづくっていて、自分はそのうちの一細胞なのだという考え方は、あまり一般的ではありません。

 

 朴先生からのご質問は「内田が学者として創り上げてきた学知は何か?」というものでした。僕の答えは「そのようなものはありません」です。

 

 僕は「学知というのは集合的なものだ」というふうに考えています。僕はその集合的な学知の素材に使ってもらえるかもしれない断片をレヴィナスについて、カミュについて、あるいは武道について、映画について、手作りしてきました。これからも僕は自分の「煉瓦」を手作りしてゆくつもりです。それが後世の誰かに拾われて、「あれ、この煉瓦はこの建物の材料に仕えるかもしれないぞ」と思ってもらえるなら、それにまさる喜びはありません。