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内田樹さんの論考(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1491

たいせつなのは、「好きにやりたい人に好きにさせる環境作り」です。

 

 

2024年2月7日の内田樹さんの論考(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 僕は人間が生きてゆくためには相互支援共同体というものがどうしても必要だと考えています。そのような共同体に帰属していないと、個人では人は生きて行けません。

 その共同体の制度設計の基本ルールは「最も弱い人が自尊感情を持ってメンバーでいられること」です。

 ですから、そういう共同体では「フリーライダー」というものは概念上存在しません。

 フリーライダーというのは「共同体のリソースを分配されるだけ分配されるけれど、自分からは何も差し出さない人」のことです。

「フリーライダーはいない方がいい」というふうに、多くの人が思っています。

 思っているどころか、「フリーライダーを根絶する」ことが政治的正しさだと信じて、「生活保護受給者」をいじめたり、undocumented な在留外国人を「国に返せ」と言ったりする人の方があるいは多数派かも知れません。

 でも、僕はこれは端的に間違っていると思います。共同体は、「標準的な個体」ではなく、「最も弱い個体」を基本に制度設計されるべきだと思っているからです。最も弱い個体でも気持ちよく暮らしてゆけるように制度を調える。その方が共同体は強靭なものになるからです。

 だって、フリーライダーがもたらす損失なんて、たかが知れているんです。

 企業の場合だったら、「給料分の働きをしない」くらいのことです。測定可能ですし、実際はわずかな金額なんです。

 生活保護の不正受給だって、金額ベースで0.38%です。

 これをゼロにするために制度をいじる方がはるかにコストがかかります。

 日本育英会の奨学金は、返還しない滞納者が5%いるという理由で2005年に廃止になりました。95%の奨学生はきちんと返還していたのに、「奨学生は潜在的なドロボーである」と言い出した人がいて、「そうだそうだ」と唱和する人がいて、制度そのものがなくなりました。その結果、日本の学生たちは在学中から勉強する時間を削って必死でバイトをし、卒業後も奨学金返還のために自分のしたい仕事にも就けず、結婚もできず、子どもも作れず・・・というかたちで日本全体が貧しくなり、学術的生産力も激減しました。

 フリーライダーが得たわずかな金銭を奪還しようとしたせいで、システム全体が傾くことになったのです。それより奨学金の返還義務そのものをなくした方が、日本社会全体ははるかに大きな「富」を得たはずです。

 

 どんな組織も10%程度の「フリーライダー」を含んでいます。「分け前分働かない人たち」です。これは減らしようがない。でも、同じように10%程度の「オーバーアチーバー」も含んでいます。「分け前分を超えた利益を集団にもたらす人たち」です。この人たちのオーバーアチーブメントはしばしば彼らに分配される「富」の何倍、何十倍にも達します。

 だったら、「フリーライダーをゼロにする」制度改革に血道を上げる暇があったら、「オーバーアチーバーに気分よく仕事をしてもらう環境を整備する」方が、費用対効果は圧倒的によい。

「フリーライダーを組織のフルメンバーとしてにこやかに迎え入れ、オーバーアチーバーには好きにさせておく」という「メンバー全員が気分よく過ごせる」組織を設計するのが、いちばん賢いということになります。

 僕はそう考えています。これは頭でこねくりまわして出した結論ではなくて、経験から得られた知見です。

 たいせつなのは、「好きにやりたい人に好きにさせる環境作り」です。

 もちろん、「好きなことをさせてください」と言ってくる人すべてがオーバーアチーバーではありません。でも、いいんです。7%のオーバーアチーバーが集団内にいれば、集団はそこそこ機嫌よく存続できます。15%もいたら、もうすごい生産力です。それでいいんです。

 たいせつなのはオーバーアチーバーの「とりこぼし」をしないことですから。

 

 オーバーアチーバーの「価値」は、その人ひとりでどれだけたくさんのアンダーアチーバーを扶養できたかで考量されます。

 そういうものでしょ?むかしから。

 たくさんの家族を養い、みんなにちゃんとした服を着せて、ちゃんとした教育を受けさせることができた人は、みんなから「立派な人だ」と評価されます。

「おまえよくあんな甲斐性のない連中をだまって食わせてるな。あんなの棄てちゃって、一人で贅沢に暮らしたらいいじゃん」なんていう人はいません。

 それと同じです。

 

 僕は自分の共同体におけるオーバーアチーバーであろうとしています。どんな共同体にも必ず多少のフリーライダーやアンダーアチーバーを含んでいます。でも、僕はそんなことぜんぜん気にしません。だって世の中ってそういうものだから。それぞれ「役割」というものがあるんです。僕は、できるだけたくさんのメンバーが自尊感情をもって、愉快に過ごせるような「場」を立ち上げることが自分に託されたミッションだと思っています。

 救難信号があちこちから来るというのは、「君はそもそもオーバーアチーバーなんだから、自分の責務を果たしなさいね」というお知らせであって、それはにこやかに「あ、そうですか」と受信すればいい。僕はそう思います。

 

 君が受け取っている救難信号が具体的にどんなものか僕にはわかりませんけれど、「助けて」とひとに言われるというのは、とても「よいこと」なんです。それだけは覚えておいてください。

 

 そのときに君がした努力への「お返し」は、別のときに、まったくおもいもかけないかたちで戻ってきます。贈与のシステムはそれくらいには信じても大丈夫です。