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本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。
2024年4月15日の内田樹さんの論考「『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社)」(後編)をご紹介する。
どおぞ。
次の論点は、このシングルたちはどのような社会的な関係を形成しているのかである。彼らが高齢化したときにアンダークラス化しないために欠かすことのできない条件は地域コミュニティにコミットしていることだからである。果たしてミドル期シングルたちはどのような「親密圏」を形成しているのか。
これについては男女差が際立っている。男性シングルは親密圏の形成が苦手で、女性の方がずっとその点ではすぐれている。これはどなたも経験的にわかるだろう。
男性シングルは親族との関係が希薄であるが、女性シングルは「ひとり暮らしに伴う経済的不安、孤独、犯罪に巻き込まれる不安、病気の不安を男性以上に感じやすい分、親やきょうだいと頻繁に連絡をとって、結婚によって築く親密圏に代わる親子関係を軸とする親密圏を築いています。」(156頁)
おそらくリスクに対する不安が男性よりも強いせいで、女性の方が「家族に代わる多様な生活共同体(別居パートナー、コレクティブハウス、シェアハウスなど)」(156頁)の形成についても、あるいは「趣味やレジャーで会う人や同窓生などの"柔らかい紐帯"を"固い紐帯"と共に築いている人が男性より明らかに多いといえます。」(156頁)
男性は親族のみならず仕事以外の友人・知人とのネットワーク形成にも未成熟である。だから、高齢期に病気になった場合にもケアマネージャーや行政に優先的に頼ろうとする。「日ごろから頼ることのできる家族的関係や友人知人関係を作っていない結果といえるでしょう。(...)ミドル期シングルの環境は、非家族的親密圏も中間圏も広く形成されている状態にはなく、孤立化するリスクを抱えているといえます。」(157頁)
その通りだと思う。
親はいずれ死ぬ。きょうだいとの縁も薄くなる。仕事も退職する。そのあとにシングルたちはどうやって生きるのか。ただ「生きる」のではない。一人の市民として、尊厳を以てどうやって生きるのか。
本書では「ハンカーダウン(hunker down)」という言葉が使われているが、これは人々が「より私的な空間に閉じこもり、他者への信頼度が下がり、なるべくかかわらないようにしている」状態を意味するのだそうである。「引きこもり」である。地域コミュニティにコミットしない/できない状態のことである。
もともと日本では地縁共同体が衰退している上に、「都会のミドル期シングルはあまり地域での重要な関係を持つことに積極的ではない」(162頁)。しかし、地域コミュニティへのコミットメントは「孤立化」を防ぐ最も効果的な手立てである。どのようにしてミドル期シングルを地域コミュニティとの関りを持たせることができるのか。それが実践的な課題になるのだが、アンケートに回答したミドル期シングルの8割は地域活動に参加していない。
「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(173頁)。コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。ミドル期シングルは「ツーリングに出かける先、コンサート会場やスポーツ観戦の場所などの地域コミュニティには存在しない『イベント』的サードプレイス」を挙げているが、それは「"その場を楽しむ"ということに限定されており、必ずしも、何かあったときに支え合う、家族の代替になるものではなさそう」である。(173頁)
ミドル期シングルは表面的には活発な社会的関係を形成しているように見えても、自分が高齢期になったときに「生活に不安のない人」は全体の3.7%しかいない。(176頁)「病気になったときに身の回りの世話をしてくれる人がいない、という不安は64%にも上がり」、「自分が『孤独死』する不安を多少でも持っている人は半数に上ります。」(176頁)「病気になったときや介護が必要になった場合に誰を頼ればよいのか、高齢期になってお金は足りるのだろうか、住むところはあるのだろうか、そして災害時に誰が助けてくれるのか」(176頁)という不安を多くのミドル期シングルは抱いている。
特に災害の場合、地域コミュニティへの参与の有無は決定的である。避難所に知り合いが一人もいない状態で罹災者になるストレスはかなりシリアスだと思う。
本書がそれゆえミドル期シングルたちに地域へのゆるいコミットメントを勧奨している。図書館や公園で会って挨拶する程度の関係でもいい。それだって、地域の一員であるという意識の培地にはなる。
地域活動の核といえば、学校と病院である。学校と病院を「地域に開く」という試みはすでに行われている。子どもたちの教育活動に参加する、高齢者の支援者となるといった取り組みは「世代を超えて地域の結びつきを深めることに結びつくかもしれません。」(194頁)
学校と病院は「社会的共通資本」(宇沢弘文)の重要な柱である。これを安定的に維持することは地域共同体にとって死活的に重要であるのだから、学校と病院を「サードプレイス」にできた人は、かなり安定的な仕方で地域コミュニティに参与できるだろう。この見通しには私も同意する。
いずれにせよ、鍵になるのは「ゆるい」ということである。都市生活者は「強い絆」を嫌う。何となく、ふらっと立ち寄った場所で、気が向いたら参加し、気が向かなかったら参加しないという程度の「ゆるいつながり」を求める。(196頁)
面倒な話である。でも、「東京の中心ではミドル期シングルはもはやマジョリティです。ミドル期シングルを包摂し、ゆるやかにつながる地域を作り上げることは、地域、行政にとって、そして何より当事者たちにとって大切なことです」(200頁)という言明にはうなずかざるを得ない。
以上、やや急ぎ足で本書の内容を要約した。求められているのは「書評」なので、評言を述べなければならないのだが、本書を読む限りでは「教えられること(そうだったんですか)」と「同意すること(そうですよね)」ばかりだったのでうまく論評の言葉を思いつかない。
付け加える情報があるとすれば、一つは大量の高齢シングルを抱えるせいで国難的危機に遭遇するのは日本だけではないということである。中国がそうなのである。
中国は1979年から2014年まで35年にわたって「一人っ子政策」を採ってきた。多くの夫婦は「跡取り」が欲しくて女児を堕胎したせいで、この世代は男性が過剰である。配偶者を得られずに高齢を迎えた男性はすでに5500万人に達している。彼らの多くは低学歴、低収入、農村人口である(だから配偶者を得られなかったのである)。二代続けて「一人っ子」だった場合、親が死ぬと、彼らは妻子もきょうだいもおじおばもいとこもいない「天涯孤独」の身となる。中国社会は伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークで支えてきたけれども、この人たちは親族ネットワークというものがそもそもない。彼らの老後がどういうものになるのか、誰もわからない。最近の中国ネットでは「安楽死」が話題になっているそうである。「集団自決」と同根の発想なのかも知れない。
もう一つ付け加えたいのは、私自身シングルのための地域コミュニティを手作りした経験があるということである。凱風館という武道の道場であり、学塾であり、かつ相互支援のネットワークの拠点を作った。メンバー同士で子育てを支援したり、起業を支援したり、病気のときの世話をし合ったりしている。先年「合同墓」を作った。シングルや子どものいない人たちのために、誰でも入れて、道場がある限り誰かに供養してもらえるお墓を作った。
凱風館は「サードプレイス」であるが、違うのはただ「つながる」だけではなく、修行や勉学を通じて自己刷新を遂げることがメンバーに期待されていることである。本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。そのためにも、ミドル期シングルの市民的成熟を支援する仕組みを構想することもまた私たちのたいせつな仕事だと私は思っている。