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随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。
2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その1)をご紹介する。
どおぞ。
『自民党失敗の本質』(宝島社、2021年)に収録されたインタビュー(2021年8月に行われた)。もう3年近く前のものだけれど、自民党政治の内在的批判としては今でも有効だと思う。
―菅内閣の支持率は下落の一途を辿り、2021年8月の報道各社の支持率は30%を切りました。この1年間の菅政権の動きをどのように評価されていますか。
内田 随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。ひと昔前だったら内閣が吹っ飛んでしまうような事態が、第二次安倍権以降何度もあったけれども、ここまでひどい内閣というのは過去に例がなかった。
たとえば2021年8月6日、広島での平和祈念式典でのスピーチが象徴的でした。菅さんは丸々1ページ、核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字の原稿を読み飛ばしてしまい、結果的には意味の通じないセンテンスを発語してしまいました。
僕が一番驚いたのは、そうした「意味をなさない言葉」を平然と読み続けた点です。普通、無意味なセンテンスを発してしまったとき、気持ち悪さを感じて言い淀んでしまうものです。しかし菅さんは、意に介する様子もなく堂々と読み切った。普段も官僚がつくったメモをただ読んでいるだけで、その日も同じだったのかもしれませんが、意味のない言葉を口にしても気にならない、非常に強い「無意味耐性」を持つ人だと感じましたね。
―いつも棒読みするばかりで、意味のある言葉を持ち合わせていない。
内田 政治家にとって一番たいせつな能力は、国民に言葉を届かせる力です。これまでの出来事をどのように評価して、これから何をするべきか、届く言葉で語ることが不可欠なはず。雄弁でなくとも、「私の気持ちを理解して欲しい」という真率な思いがあれば、言葉は伝わります。でも、菅首相はそもそも国民に言葉を届かせる気がなかった。「言葉を届けること」より「言質を取られないこと」の方を優先した。これは、政治家としては致命的なふるまいだと思います。官房長官だった頃のこのコミュニケーションを拒否する姿勢を「鉄壁」などと持ち上げて、国のトップに就くのを許してしまったメディアの責任は重いと思います。
―言葉でアピールするという点では、たとえば小泉純一郎元首相などは、非常に言葉巧みだったという印象を多くの人が持っていると思います。
内田 小泉さんもしばしば言葉が空疎でした。「人生いろいろ、会社もいろいろ(年金加入問題が追及された時の発言)」とか、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ(イラク特措法における「非戦闘地域」の定義についての答弁)」とかありました。でも、彼の場合、詭弁を弄している時には、ごまかしているという自覚はあって、顔に疚しさが浮かんでいました。でも、安倍・菅の2人は、嘘をつくことに対する疚しさをまったく感じさせない。ただ言葉が流れてゆくだけで、ためらいがない。そこに違いがあると思います。
ですから、小泉純一郎的雄弁というのは、言葉によって国民の耳目を引き付けるだけの力があった。大きな反発があるなかでも郵政民営化やイラク戦争への加担といった政治的決断をできたのは、「そこまで言うなら、小泉さんに下駄を預けようか」という国民の支持を集めるだけ言葉に力があったからです。
しかし、安倍・菅からは「ぜひ自分を支持してほしい」と懇請する気持ちが伝わってこない。賛否の判断に迷っている国民の袖をつかんで、自分の方に引き寄せるという気が感じられない。自分の支持者から拍手喝采されることは当てにしているのでしょうけれども、自分の反対者や無党派層を説得して、一人でも支持者を増やそうという気概がまったく感じられなかった。
―安倍・菅両氏が、国民からの支持形成に熱心でないのはなぜでしょうか。
内田 有権者の過半の支持を得なくても選挙には勝てることが分かったからです。選挙をしても、国民の約5割は投票しない。だから、全体の3割の支持を受けられれば選挙では圧勝できる。今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有できる。だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をして、無党派層や反対者は無視した方がむしろ政権基盤は盤石になる。そのことをこの9年間に彼らは学習したのです。
―つまり、自分を支持してくれる人の歓心を買うことしか念頭になかったと。
内田 敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。反対者からの要望には「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。それが安倍・菅的なネポティズム(縁故主義)政治です。森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議、すべてそうです。
ネポティズムというのは発展途上国の独裁政権ではよく見られます。韓国の朴正熙、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルト政権など、長期にわたって独裁的な政権を維持した国ではどこでも独裁者とその取り巻きたちが公金を私物化し、公権力を私的に利用していました。けれども、どの国でもある時点で、民主化闘争が起きて、公的なリソースはその政治的立場にかかわらず国民に等しく分配されなければならないという考えが常識になった。それが近代民主主義というものです。
しかし、安倍・菅政権では、開発途上国のようなネポティズム政治への逆行が進んだ。ふつうはあり得ないことです。ネポティズム政治を続けていれば、社会的公正が損なわれ、統治機構に対する国民の信頼が傷つき、国際社会における地位の低下をもたらす。つまり、国力が低下する。そんなことは誰でもわかっているはずなのに、安倍・菅政権はあえて後進国の統治形態をめざした。
ふつう、こんな政治が続けば、国民は怒りを感じて、選挙で野党に投票して、政権交代をめざすはずですが、日本ではそれが起きなかった。現政権から「いい思い」をさせてもらっている支持層は自己利益を確保するために投票に行くけれども、何を言っても、何をしても、まったく政治に意見が反映されないという無力感に蝕まれた人たちは、投票に意味を感じなくなって、投票さえしなくなった。その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。