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正中線というのは単に自分と相手の中心を結んだ空間的な位置取りのことを言うのではない。目付や重心や臓器の位置や気の配りなど無数の要素によって、正中は生成し、変化する。そして、正中と技の刃筋が合うと強大な力が発動し、ずれると力は減殺される。
2024年5月8日の内田樹さんの論考「正中と刃筋」をご紹介する。
どおぞ。
「現代における武道の意義」という演題である市の体協で講演をすることになった。聴衆の多くは各種競技団体の役員の方たちだった。講演を終えて質疑応答になった時に、勢いよく手を挙げた人がいた。その人は「お話に出て来た『正中線』とは何のことですか?」と問いかけた。
自分なりの答えを知っていて、私の知見の当否を吟味しようというような査定的な問いではなく、ほんとうに知りたがっているということがその真剣なまなざしから知れた。
おそらくこの方は稽古を通じて「正中線」についてリアルな身体実感を持っているのだけれど、指導に際して、なかなかその実感を言葉で伝えられないでいるのだろうと思った。
正中線というのは単に自分と相手の中心を結んだ空間的な位置取りのことを言うのではない。目付や重心や臓器の位置や気の配りなど無数の要素によって、正中は生成し、変化する。そして、正中と技の刃筋が合うと強大な力が発動し、ずれると力は減殺される。
おそらく伝説的な名人達人はミクロン単位で正中を感知して、そこに刃筋を合わせることができたのだろうと思う。刀が斬り込んだ跡を持つ兜は日本各地に今も残されているが、人間の筋力では、どれほどの速度で振ってもそんなことはできない。
多田宏先生は剣を振る稽古の前には必ず示現流の流祖東郷重位の逸話をお話しされる。重位は脇差を一閃して目の前の碁盤を両断し、さらに畳から根太まで斬ったと伝えられている。人間の力でできることではない。おそらくこういうことができた達人たちは超人的な精密さで正中と刃筋を合わせることで自分の身体を巨大なエネルギーの「通り道」にしたのだろうと思う。
稽古をしていればその消息はなんとなく体感はできる。でも、正中の物理的な力量を計測できる機器はまだ存在しないし、説明のための語彙もまだ足りない。そういう話をした。私が言いたいことはたぶん質問者にも伝わったと思う。(『月刊武道』2024年5月号)