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内田樹さんの「トランプのアメリカ」 ☆ あさもりのりひこ No.1549

戦後80年、自前の安全保障戦略をついに持つことなく、「日米同盟基軸」一辺倒で来たのだからどうしようもない。増税しても、改憲しても、徴兵制を導入しても、米国の要求を丸呑みするだけである。

 

 

2024年7月14日の内田樹さんの論考「トランプのアメリカ」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ジョー・バイデンとドナルド・トランプの討論が終わった。双方とも相手を罵り合うという見苦しい展開だったが、口から出まかせの嘘を自信たっぷりにつきまくるトランプを相手にきちんとファクトに基づいて反論することができなかったバイデンの衰えぶりに米国の有権者はショックを受けたようだ。民主党は大統領候補者を替えた方がよいという意見が出て来たが、今から候補者を選定して11月の大統領選に間に合うだろうか。

 おそらく世界は二期目のトランプを迎えることになる。彼は「アメリカ・ファースト」を掲げて、前任者の政策のほとんどを覆し、国際秩序の維持には副次的な関心しか示さないだろう。

 ただし、「アメリカ・ファースト」はトランプの独創ではない。この言葉を最初に使ったのはチャールズ・リンドバーグ大佐をリーダーに頂いた大戦間期の反戦派の人々である。彼らは欧州の戦争に米国は関与すべきではないと主張した。仮にナチスがヨーロッパ全土を支配して、苛烈な弾圧を行ってもそれは米国には関係のないことだ。欧州の旧秩序を維持するために米国の若者が血を流す必然性はない、と。

 フィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ』はこの史実を踏まえて、リンドバーグ大佐が1936年の大統領選挙でフランクリン・ローズヴェルトを破って大統領になった米国を描いた「近過去物語」である。小説の中の日本は日米不可侵条約を締結して、東アジアで米英仏の干渉抜きで植民地拡大に励むという話になっている。

 二期目のトランプもそれと同じように、不干渉主義を採って、プーチンと習近平には「そちらの勢力圏で何をしようと米国は与り知らない」とフリーハンドを与える可能性がある。NATOからの脱盟、気候変動についてのパリ協定からの脱退、国連の諸機関への基金供出の中止などが政治日程に上るだろうし、当然日米安保条約についても廃棄をちらつかせる可能性はある。

 むろん在日米軍基地は米国にとって手離すにはあまりに惜しい「資産」であるから、おそらく「安保条約を継続したければ、米国にさらに朝貢しろ」とトランプは言ってくるだろう。米軍基地の半永久的な租借、「思いやり予算」の増額、大量の兵器の購入などの桁外れの要求を突きつけてくるだろうが、日本政府はそのすべてを唯々諾々と受け入れるしかない。戦後80年、自前の安全保障戦略をついに持つことなく、「日米同盟基軸」一辺倒で来たのだからどうしようもない。増税しても、改憲しても、徴兵制を導入しても、米国の要求を丸呑みするだけである。

 まことに暗い未来である。だが、「アメリカ・ファースト」が米国の永続的な安泰を保証するわけではない。合衆国は「国家連合(Unitede States)」である。自己利益を最優先しようとする「国家(State)」が「テキサス・ファースト」とか「カリフォルニア・ファースト」とか言い出した場合に、連邦政府にそれを退けるロジックがあるだろうか。

 合衆国憲法制定の時にも、州政府に独立性を委ねるか、連邦政府に大きな権限を与えるかをめぐって激しい論争があった。その経緯はマディソンやハミルトンの『ザ・フェデラリスト』に詳しい。

 最終的に連邦政府に軍事についての大きな権限が付与されたのは、州政府が軍事を専管すると、外国軍が侵略して来た時にどうなるのかというSF的想定をフェデラリストたちが提出したからである。「英国がヴァージニア州に軍事侵攻してきた時にコネチカット州が『それはよその国の話だ』と拱手傍観していたら合衆国はどうなるのか」と連邦主義者は説いた。たしかにこの設定には説得力がある。

 テキサス州では独立運動がかなり活発になってきている。もし州民投票や州議会決議で独立が宣言された場合に、連邦政府はどう対処するつもりだろうか。テキサスを説得するために「中国やロシアがテキサスを攻めてきたらどうするのだ。ニューヨーク州が『テキサスのためにニューヨークの若者が血を流すいわれはない』と言い出したらどうするのか」という建国時点のロジックを連邦政府が再び古文書の中から引き出して、埃を払って再利用するつもりだろうか。たしかにその可能性はゼロではない。

 

(『週刊金曜日』7月2日)