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内田樹さんの「近代市民社会の再興のために」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1551

その気になれば、米国は「世界最強のならず者国家」になれる

 

 

2024年7月21日の内田樹さんの論考「近代市民社会の再興のために」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

― テロ組織は国際秩序を壊乱し、テックジャイアントは国際秩序に関与している。

 

内田 「自国ファースト主義」の亢進は、これらの非国家アクターの脅威に対する国民国家サイドからの防衛反応だと僕は見ています。自国ファースト主義者は国際秩序の維持コストの負担を拒否し、自国の国益の最大化だけを追求することです。中国、ロシア、北朝鮮、イランのような権威主義的国家がそうですし、インド、インドネシア、トルコなどもそれに準じている。ヨーロッパでもハンガリー、ポーランド、オランダなどは民主主義国家ですが選挙を通じて極右の自国ファースト主義政党が政権の座にある。アメリカもトランプが再選されれば、「アメリカ・ファースト」を掲げて、国際秩序の維持コストの負担を拒否するようになる。「中国やロシアのような権威主義国の独裁者に対抗するためには、民主主義国も強権的なリーダーを立てるしかない。こちらが国際秩序のためにルールを守って抑制的に行動し、あちらがルールを無視して利己的な行動をするなら、勝負にならない。だったら、こちらもルールを無視するしかない」というロジックに抵抗することは困難です。

 戦後久しく米国は超覇権国家として国際秩序を主導してきました。そのためのコストに耐えられるだけの軍事力と経済力があったからできたことです。でも、イラクとアフガニスタンで国力を消耗し、経済力も衰え、ついに国際秩序を維持するコストの負担に耐えられなくなりました。オバマが「世界の警察官」をもう辞めると宣言したのも、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げたのも、同一の文脈の中の出来事です。

 確かに衰退したとはいえ、米国は依然として世界最強の軍事大国・経済大国です。だから、「国際秩序なんか知ったことか。米国さえよければいいんだ」と開き直れば中国やロシアやイランに負けることはまずありません。その気になれば、米国は「世界最強のならず者国家」になれるということです。世界各国が喉笛を掻き合う野蛮な「自然状態」に戻っても、その荒れ果てた「マッドマックス」的ディストピアでも最後に生き残っているのは米国でしょう。

 

― しかし、それでは結局国益を確保できないというのが二度の大戦の教訓だった。仮にこのまま第三次世界大戦に突入して核戦争が起きれば全員が敗者になる。

 

内田 その通りです。結局、「自国ファースト」はいずれ自分で自分の首を絞めることになります。「自分さえよければそれでいい」という構文の主語はいくらでも小さくできるからです。現に、米国ではテキサスでもカリフォルニアでも州独立の運動が活発化しています。仮にテキサス州が独立すれば、人口2900万人、GDP世界9位の「大国」が生まれる。カリフォルニア州が独立すれば人口3700万人、GDPは英仏より上位の世界5位の「大国」になる。

 今米国で猖獗を極めている「アイデンティティー・ポリティクス」というのは要するに属性の近いものが固まって、他の集団とゼロサムの資源争奪戦を展開するというものです。「お前はどの部族(tribe)の人間だ?」という問いがまず立てられる。違う部族の者とは共生しない。協働もしない。もちろん公共財も共有しない。

 この「より同質性の高い部族に縮減してゆく」傾向が米国では顕著になっています。ジョージア州フルトン郡サンディスプリングでは、富裕者たちだけが自分たちの納めた税金が他の地域の貧民に分配されることを嫌って、「金持ちだけの自治体」を作りました。税収の多くを失ったフルトン郡は図書館などの公共施設が維持できず、街灯まで消されました。米国中でこれに続く動きが起きています。

 テキサス州やカリフォルニア州の独立運動も発想は同じです。自分と同質の者だけと部族を形成してその利益を最優先する。「純化と縮減」です。この傾向が加速すれば、米国は国としてのまとまりを失うことになる。公共はいったん解体し始めると、あとはもう歯止めが効きません。「純度が高いのは絶対善である」というルールを採用すれば、同じ部族内であっても、純度の高さを求めて、さらに小さな同質集団に分裂することはもう止められない。最後にばらばらになる。公共を形成するための努力を拒否すれば、どんな共同体もいずれ解体します。オルテガはそれを「野蛮」と呼んだのです。旧ユーゴスラビアはかつて「六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字」を持つ多民族国家でしたけれども、同質性の高い集団が基礎的政治単位になるべきだというイデオロギーに屈服した末に「六つの国」に分裂して崩壊しました。

 

― 現在起きている「近代の危機」は近代化の結果であり、近代は限界にぶつかって自滅しようとしているようにも見えます。それならば、いま必要なのは「近代の超克」ではありませんか。

 

 

内田 いま僕たちが直面しているのは「近代の限界」というより「前近代への退行」だと思います。だから、今必要なのは「近代の復興」であり、「近代への回帰」です。もしかすると、「近代市民社会」はまだ歴史上一度も実現したことがなかった幻想かも知れません。だとしたら、「近代市民社会の実現」こそが僕たちに課された歴史的使命だということになります。