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民主社会のシステムは現実に市民たちの性が善であることを根拠にしてではなく(実際にそうではない)、市民たちの性が善であることから市民たち自身が最大の利益をこうむるように設計されているということである。
2024年7月27日の内田樹さんの論考「性善説システムからのお願い」をご紹介する。
どおぞ。
今回の都知事選では公選法の抜け穴を狙うような脱法的行為が目立った。ある政党は24人の候補を擁立し、選挙公報の半分近いスペースを占拠し、掲示枠にポスターを張る権利を有価で販売するということを行った。掲示板に選挙と関係ない写真や、別のサイトに誘導するバーコードを載せたポスターを貼った事例もあった。
これまでも政見放送や選挙公報にはあきらかに市民的常識を欠いた人物が登場したけれども、それは「民主主義のコスト」だと思って、私たちは黙って受け入れていた。だが、さすがに今度の都知事選の非常識さは前代未聞だった。
でも、こういう行為をする人たちは別に選挙を利用して金儲けしたり、売名したいわけではないと思う。彼らの目的は公選法が「性善説」で運用されているという事実そのものを嘲笑することにある。供託金さえ払えば、公器を利用して、代議制民主主義というものの脆弱性と欺瞞性を天下にさらすことができる。民主主義というのがいかに非現実的な、妄想的なまでに理想主義的な仕組みであるか、それを暴露して冷笑することがこのような行為をする人たちを駆動しているほんとうの動機のように私には見える。「民主主義がどれほどくだらない制度だか、オレたちが好き放題にしているのを見ればわかるだろう?」と彼らは国民に向かって挑発的に中指を立てているのである。
しかし、だからといってこういう行為を処罰できるように法整備をすることには私は原則として反対である。公選法は民主主義の基礎である。それは性善説に基づいて制度設計され、運用されている。もちろん現実の市民たちは全員がそれほど性が善良であるわけではない。それでもなお公選法が性善説で設計されているのは、「民主主義社会を構成する市民たちの多くは、社会が平和で安定的であり、市民的自由が保全されることを求めており、それゆえ基幹的な社会契約については、遵法的にふるまうものだ」という人間理解をそこに託しているからである。民主社会のシステムは現実に市民たちの性が善であることを根拠にしてではなく(実際にそうではない)、市民たちの性が善であることから市民たち自身が最大の利益をこうむるように設計されているということである。
性善説で作られた制度は有権者たちがふだん市場でふるまう時のように「自己利益が最大化するために」ではなく、市民社会の一成員として「長期にわたって自己利益を安定的に確保するために」思量することを求めている。違いは「長期にわたって」という条件があるかないかだけである。
市場のプレイヤーの行動基準は「無時間モデル」である。注文と納品はタイムラグゼロであることが理想であり、今思いついたアイディアは今すぐ換金されなければならない。「長期的に」というような副詞は市場のプレイヤーたちの語彙にはない。彼らにとっては今ここでの利益だけが問題なのだ。
でも、市民社会の諸制度は長期にわたり安定的に運営されなければならない。そのためには一定数の市民が合理的に思考し、遵法的に行動することがどうしても必要になる。
性善説的制度は無思慮の産物ではない。市民たちの袖をつかんで「お願いだからまともな大人に育ってくれ(そうでないとこの社会は持たない)」というリアルな懇請の産物なのである。(『中日新聞』、7月18日)