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内田樹さんの「「パンとサーカス」解説」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1562

ミッドウェー海戦での死者は3000人です。真珠湾攻撃での日本軍死者は60人ほどでした。この時点で講和していれば、海外領土を失い、巨額の賠償金を課されたでしょうが、310万に及ぶ人々は死なずに済んだ。

 

 

2024年8月27日の内田樹さんの論考「「パンとサーカス」解説」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 米中戦争にかかわるミュートのこの見通しに僕は全面的に同意します。アメリカは米中戦争をする気がありません。全面戦争になれば核戦争になります。核戦争をすれば米中共倒れになることが確実である以上、アメリカが選択できるのは中強度の通常兵器による戦闘までです。

 人民解放軍は中越戦争以来、45年間実戦経験がほとんどありません。海戦経験はほぼゼロ。装備はハイレベルですが、実戦能力は不明。やってみないとわからない。でも、そんなリスクの高い賭けにアメリカは応じられません。ですから、台湾に中国が軍事侵攻してもアメリカがコミットしないという可能性はかなり高い。現に「台湾のためにアメリカがリスクを取ることはない」と公言する政治家、政治学者はアメリカ国内には少なくありません。

 それに、米中戦争の帰趨はどう転ぶか分かりません。いささか旧聞に属しますが、2017年にランド研究所は「妥当な推定を基にすれば、米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」というレポートを発表しています。同年、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長も「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告を発しています。つまり通常兵器による戦争ではアメリカは中国に敗けるかも知れないということです。もちろん「このままでは大変なことになる」という軍人からの警告は多少割り引いて聴く必要があります。リスクを過大評価して、国防予算の増額を要求するのは軍人の本務の一部ですから。

 それでも、「中国と戦ったら敗けるかもしれない」とシンクタンクや軍高官が明言するというのは、かなりシリアスな状況だと考えてよいと思います。アメリカは「対中戦争はできるだけしたくない」と思っている。それは確かです。

 とはいえ、中国が台湾に侵攻した時にそれを放置すれば、西太平洋におけるアメリカの軍事的優位も外交的信頼も失われます。日本と韓国は、アメリカが台湾を見捨てれば、アメリカと自分たちの間の軍事同盟も「実は空文かもしれない」と思い始めるでしょう。日韓の信頼を失うことがもたらすリスクと、中国との全面戦争にコミットすることがもたらすリスクのどちらが「致命的」であるとホワイトハウスは考えるでしょうか。ことは信義の問題ではなく、損得の問題です。そして、算盤を弾いた末に、アメリカは米中戦争を回避することを優先させると僕は思います。

 ですから、台湾有事になったら、自衛隊の尻を叩いて「存立危機事態なんだから、まずは日本人が戦え」と命じておいて、在日米軍主力はとりあえずグアムまで後退すると思います(「日本を守るためには、米軍主力が無傷であることがどうしても必要なのだ」と言って)。

 アメリカにとって必要なのは時間を稼ぐことです。そして、AI軍拡で中国に対してアドバンテージを持つことです。中国はこれから人口減と経済成長の鈍化を迎え、遠からず国力はピークアウトします。それに中国共産党は「海外からの侵略リスク」より「国内における反乱リスク」の方を重く見ています(だからこそあのような徹底的な国民監視システムを構築しているのです)。ということは、いずれ文化大革命や天安門事件のような壊乱的事態が出来するかも知れない(北京はそうならないことを願い、ホワイトハウスはそうなることを願っています)

 いずれにせよ、アメリカにとって必要なのは時間です。日本や韓国を見捨ててもそれで時間が稼げるなら、アメリカにとっては帳尻が合う。

 中国が台湾や韓国や日本に軍事侵攻した場合、かなりの抵抗が予測されます(特に台湾と韓国では。日本ではそれほどの抵抗はないと中国共産党指導部は考えているはずです。というのは日本人は「外国軍隊に蹂躙されることに対して特段の心理的抵抗を感じない国民」だと国際社会からは思われているから)。

 それでも日本を実効支配するためには、長期にわたって数十万規模の軍隊と行政官を常駐させなければなりません。これは中国にとってはできれば負担したくないコストです。ですから、中国は日本を勢力圏に置く場合、直接統治するよりは、華夷秩序以来長い歴史を持つ「辺境の属領には高度の自治を許す」という使い慣れた「一国二制度」を持ち出してくるはずです。「かつての香港」程度の政治的自由を許せば、日本の支配層は簡単に「中国シフト」に切り替えて延命を図ります。日本の「被支配層」は久しく「長いものには巻かれろ」とだけ教えられてきたので、レジスタンスを戦うなどということは思いつきもしないでしょう。「アメリカに支配されるのも中国に支配されるのも、国家主権がない点では変わりがないからね。ははは」と寂しく笑って人々はこの事態をやり過ごすはずです。

 アメリカに見捨てられ、中国の辺境の自治州となった日本は、その後どうなるのでしょうか。「アメリカ憎し」の一念で中国をバックにした「反米の尖兵」となるでしょうか。そんなことはないような気がします。だって、あまりにも愚かで腰抜けだったせいでアメリカに「いいようにされた」だけの話ですから。日本人がいくら「自分たちは被害者だ。日米安保条約ひとつであれだけ日本から収奪しておきながら、肝心のときに置き去りにするなんて・・・アメリカは80年分の『みかじめ料』を返せ」と泣訴しても、日本に同情して、ともにアメリカ批判に加わってくれるような親切な国は国際社会にはたぶん一つもないと思います。国連総会決議(アメリカは日本に謝罪して、金を返せという決議)もたぶん行われないと思います(それって自己責任でしょ・・・と言われるだけで)。

 

 あ、ついうっかりと僕も妄想を暴走させてしまいました。すみません。

 でも、僕はこういうタイプの想像力の行使はとてもたいせつなものだと思うのです。「歴史から学ぶ」という場合に、僕たちはほとんど「起きたこと」を素材にして「どうしてそれは起きたのか」を問います。歴史家の仕事はそうです。でも、それと同じくらいに「起きてもよかったのに起きなかったことはなぜ起きなかったのか」について思量することがたいせつです。

 例えば、ミッドウェー海戦のときに連合艦隊は主力を失い、もう戦争を継続する戦力がありませんでした。ですから、「ここで講和工作を始める」ことが合理的な解でした。現に、吉田茂や牧野伸顕や近衛文麿は和平工作をこの時水面下で開始していました。講和が実現していれば、B29による空襲も、南方戦線での戦病死や餓死も、原爆投下もなかった。ミッドウェー海戦での死者は3000人です。真珠湾攻撃での日本軍死者は60人ほどでした。この時点で講和していれば、海外領土を失い、巨額の賠償金を課されたでしょうが、310万に及ぶ人々は死なずに済んだ。「1942年で終戦を迎えた場合の戦後日本」は、僕たちが知っている戦後日本とはまったく別の国であったはずです。大正生まれの男子の七人に一人が死にました。その人たちが死なずに済んだ日本はどんな国だったのか。日本がほんとうのところどういう国であり、日本国民が何者であるかを知りたいと思うなら、この「起きてもよいはずのことが起きなかった世界」について想像力を駆使することもたいせつな仕事だと僕は思います。

 フィリップ・ロスは『プロット・アゲンスト・アメリカ』で1936年の大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトではなく、共和党のチャールズ・リンドバーグ大佐が大統領になった「並行世界」を描き出しました。親独派のリンドバーグ大統領はドイツ、日本と不可侵条約を結び、アメリカは世界大戦にはコミットしないという「アメリカ・ファースト」政策を実行します。その「戦争にコミットしなかったアメリカ」がどのような抑圧的で暴力的な社会になるか。それをロスは作家的想像力を駆使して描きました。そして、この「そうなったかも知れないけれど、ならなかったアメリカ」はアメリカという国の本質と実相を現実の歴史的出来事を通じて明かす以上にありありと開示してくれます。

「起きてもよかったのに起きなかったこと」について想像することと、「起きるはずがないと今思われていることはどんな条件が整えば起きるか」を想像すること、これは歴史学ではなく、文学の仕事です。歴史家は「起きたことはなぜ起きたのか」を確定するのが本務ですから、「起きてもよかったことが起きなかった理由」について考える暇なんかありません。この仕事は文学が引き受けるしかない。

『パンとサーカス』には「今のところ現実になっていない想像上の日本」が描かれています。でも、この技巧的に歪められた画像を通じて、僕たちは現実の日本の実相を今目の前にあるもの以上ありありと見ることができます。

 

 一人でも多くの読者がこの小説を読んでくれることを願っています。