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内田樹さんの「農業は甦るか」 ☆ あさもりのりひこ No.1570

農業は始まって1万年。資本主義市場経済が始まってまだ200年。どちらに人間の経験知が蓄積しているか、考えるまでもないだろう。

 

 

2024年9月26日の内田樹さんの論考「農業は甦るか」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

京大の藤井聡教授と農業について話す機会があった。藤井先生と私は政治的立場はずいぶん違うが、農業を守ることと対米従属からの脱却が必要だという点については意見が一致している。二人とも「愛国者」なのである。

 ご存じの通り、日本の農業は衰退の一途をたどっている。私が生まれた1950年代、日本の農業就業人口は1500万人だった。総人口の2割が農業に従事していた計算になる。2030年の農業従事者は予測で140万人。かつての1割以下にまで減ることになる。

 わが国が国の食糧自給率は38%(鈴木宣弘東大教授によると実は10%以下らしい)。食糧自給率はカナダが266%、オーストラリアが200%、アメリカが132%、フランスが125%、ドイツが86%、英国が65%、イタリアが60%。日本は先進国最低である。政府は2030年には自給率を45%まで上げることを目標にしているが、農業従事者が減り続けているのに、どうやって農業生産を増やすことができるだろうか。 

 大企業を招致して、大規模な機械化によって生産性の高い農業を実現するというような夢物語を語っているが、企業は自分の土地からの収穫には関心があるだろうが、森林や海洋や河川湖沼のような生態系の保全コストは負担してくれない。でも、生態系が維持されていないと、農業は成立しない。これまで生態系の維持は農民が「不払い労働」として担ってきたが、資本主義企業は「コストの外部化」が基本であるから、そのようなコストは絶対に負担しない。結局、農業ができる生態系の保全コストは税金で賄われることになる。多額の税金を投じて企業が金儲けできる環境を整備しなければ成立しない農業のどこを「生産性が高い」と呼べるのか。

 農業は始まって1万年。資本主義市場経済が始まってまだ200年。どちらに人間の経験知が蓄積しているか、考えるまでもないだろう。(信濃毎日新聞 913日)

 

 先週に続いて農業の話。

 日本の食糧自給率が先進国の中でも際立って低いのはなぜか。一つはわが国では農産物についても「必要なものは、必要な時に、必要なだけ市場で調達すればよい」という市場原理主義が支配的だからである。そんなはずがないことは、コロナのパンデミックで骨身にしみたのではなかったか。

 マスクは「感染症が発生した時には大量に必要になる医療品」を製造コストが安い外国にアウトソースして、「在庫を持たないこと」を経営の成功のように思っていたビジネスマンがもたらした災禍である。

 農産物もそれと同じである。戦争でも、パンデミックでも、自然災害でも、円安でも、どんな理由でも「必要なものが手に入らない」ということは起きる。だから、集団が生き延びるために必要なものは自給自足が原則なのである。

 事実、アメリカは医療崩壊のあと、必須の医療資源を国産に切り替えて、輸入に頼ることを止めた。これが常識的な対応である。

 集団が生き延びるために絶対に必要なものはエネルギーと食糧と医療と教育である。でも、日本はエネルギー自給率は12.6%。先進国で100%を超えているのはノルウェー、オーストラリア、カナダ、アメリカだけである。英仏が60%前後、ドイツが35%。それに比べても日本は異常に低い。何か起きてサプライ・チェーンが途絶したら、日本はたちまちエネルギーが枯渇する国なのである。

 けれども、どの基幹資源についても、日本政府は自給自足を目指しているように見えない。むしろ「あなたなしでは生きてゆけない」という弱さを誇示しているように私には見える。日本の農業が壊滅すればアメリカは日本に対して文字通り「生殺与奪の権」を持つことになる。それを為政者たちは属国の代官の地位と引き換えに差し出そうとしている。

 

 藤井聡先生とそんな話をした。(信濃毎日920日)