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「よりましな未来」を造形するために「最悪の未来」を差し出してみせている。
2024年9月29日の内田樹さんの論考「最悪の事態について想像力を行使することの意味について」をご紹介する。
どおぞ。
ディストピアを語る理由は、ディストピアのありさまをこと細かに語るとディストピアの到来を阻止できる可能性があるからです。これは人類のある種の知恵なんだと思います。
「ディストピアもの」が書かれ出したのは20世紀に入ってからです。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』とかジョージ・オーウェルの『1984』とかがたぶん最初です。でも、ディストピアSFが大量生産されたのは1950年代、60年代のアメリカです。その頃に大量生産されたのは、米ソの間で核戦争が起きて、世界が滅びるという話です。わずかなヒューマンエラーによって核戦争が始まり、文明が消滅する。そういう話です。映画であれ、テレビドラマであれ、漫画であれ、小説であれ、膨大な数のディストピアが書かれました。
僕はSF少年だったのでその頃にリアルタイムで大量のSFを読みました。『博士の異常の愛情』とか『未知への飛行』とか『猿の惑星』とか世界が核戦争で滅びる映画もたくさん作られました。小説もテレビドラマも、とにかく飽きるほど似たような物語が流布しました。
どうしてなんでしょう。どうしてあれだけ大量の「核戦争で世界が滅びる物語」が作られ、流通したんでしょう。僕はそれは「核戦争で世界が滅びて欲しくない」という人々の願望がもたらしたものだと思います。事実、戦後79年経って、まだ一度も核戦争は起きていないのです。
世界中に核兵器保有国があります。米国もロシアも中国もフランスもイギリスもイスラエルもインドもパキスタンも北朝鮮も持っている。地球を何十回も破壊できるだけの核兵器を人類は何十年も保有し続けている。でも、まだ誰も核兵器のボタンを押していない。
どこかでその最後の行為が阻止されているわけです。心理的な壁があって、「これを押すと人類が終わる」ということがわかるから押すことができない。これを押したら人類が終わるとわかるのは、子どもの頃から核戦争で人類が滅びる物語を飽きるほど浴びてきたからですね。人類の愚かさで世界が滅びるそのディストピアの風景というのがあまりリアルなので、さすがに最後のボタンを押すことがためらわられる。
だから、ディストピアを語ることには意義があると僕は思います。到来するかも知れないディストピアについてはできるだけ詳細に語る。どういうヒューマンエラーが世界が滅びるきっかけになるのか、それをありとあらゆる場合についてシミュレーションしてみる。次から次と「フェイルセーフ」が破綻して、最悪の事態に向かって、まっすぐに破滅してゆく。そういう話をほんとうに多くの作家たちやシナリオライターたちが考え抜いた。
もちろんそれは杞憂であり、妄想なんです。でも、妄想を暴走させることが時には必要なんだと思います。どんな妄想でも、微細にわたって記述されれば、そのような妄想的な未来が到来することを防ぐ効果はある。これは、僕がSFから学んだことです。
世界の終わりについてのディストピアの物語がディストピアの到来を防ぐことができるためには条件が要ります。それは大量生産、大量流通、大量消費されるということです。限られた少数の人たちだけの間で語り継がれてもダメなんです。エンターテインメントとして、世界中の人が、ディストピアの物語を「享受する」のでなければ、ディストピアの物語がディストピアの到来を防ぐことはできない。
だから、僕はこうやってみなさんの前に立って、こんな変な話をしているんです。それはみなさんにうちに帰ってしゃべってほしいんですよ。「今日、内田ってやつが講演に来て、変な話ししててね。このまま行くと東京に人口が一極集中して、あとの土地は無住地になるって言うんだよ。変な話でしょ。で、人が住まなくなったところには太陽光パネルや風車や原発だけがあって、その辺をサルやイノシシやクマが走り回っていて、幹線道路から一歩降りたりすると野獣に襲われるなんて・・・変な妄想を語っていたよ」って話して欲しいんです。そのディストピアの光景についての変な話を広げてほしいんです。家で話して、学校で話して、職場で話して...、そのうちに、たくさんの人が日本列島の最悪の未来について具体的なイメージを持ってくれたらいい、そう思って僕はしゃべっているんです。
これは「核戦争で世界が滅びる話」と同じなんです。人類は79年間そういう話をし続けてきた。そして、今のところまだ核戦争は起きていない。僕たちが日本列島が荒れ果てた無住地になる話をしている限り、そのような未来の到来は防げる。逆に言えば、誰もそんな未来を想像しなければ、そんな未来があっさり到来するかも知れない。そういうものなんです。
想像力の現実変成力を侮ってはいけません。「こんなことが起きるんじゃないか?」って想像すると、「図星」を当てられた人間はさすがにちょっとぎくっとするんです。「あなたたち、過疎地を無住地にして、そこに太陽光パネルとか風車とか原発とか産廃廃棄場を作る気でしょう」とずばりと言い当てられると、さすがにいきなり「そういうこと」はしにくくなる。別に罪の意識によってではなくて、「頭の中味を言い当てられる」と人間て立ち止まるんです。さすがに不愉快になって。自分の頭の中って、そんなに外に「筒抜け」になるほどシンプルなのかと思うと、さすがにむかつくんです。だから、「違う」と言う。「そんなこと考えてない」と言う。とりあえずはそれでいいんです。「あなた、これからこういうふうにしようとしているでしょう」と言い当てられると、「そんなこと考えてない」と必ず反射的に答える。人間て、そういうものなんです。だから、そうすれば一時だけは立ち止まらせることができる。もちろんわずかの間のことです。でも、その次に考えそうなことについても、先回りして、「こんなことを次は考えているでしょう」と言い当てることができれば、やはりそこでもしばらくは立ち止まらざるを得ない。そうやって、次の悪知恵をひねり出すまでの間、最悪の事態の到来を一コマずつ先送りすることはできる。
僕がこうやって一生懸命語っているのはそのためなんです。ストーリーを共有したいんです、皆さんと。皆さんもとにかくディストピアを細部まで書き込んでひとりひとりのディストピア物語をつくってほしい。
島田雅彦って作家がいます。友だちなんですけれども、最近『パンとサーカス』っていう小説を書きました。先日文庫化されて、僕が解説を書きました。これはまさにディストピア小説です。日本がどんどんダメな国になってゆき、それに対して対米自立をめざすテロリストがクーデターを起こすというまことに痛快な小説なんです。日本がアメリカの属国になって、ひたすら収奪されて、見る陰もなく貧しく卑しい国になるプロセスが実に生き生きとした筆致で描かれてゆく。どうしてこの人はこんなにうれしそうに書くんだろうって思うくらい、日本が駄目になっていく過程が活写されている。でも、あれは島田雅彦の愛なんだと僕は思うんです。日本を愛してるがゆえに、日本はこんなふうになって欲しくないと思うと筆が走ってしまう。そういうものだと思うんです。
今、僕たちがやるべきことは、妙に訳知りなことを言うのではなく、「あんた、それは妄想だよ」と言われても、そういう未来にだけは絶対に行きたくない「実現して欲しくない未来」について、微に入り細を穿って記述することだと思うんです。「そんな日本にだけはなって欲しくないディストピア日本」の光景をありありと提示する。それがそんな未来を実現させないためには効果的なんです。
僕は「外れて欲しい」から未来を語っているわけですよね。こういう未来だけは実現して欲しくない。僕の予測は絶対に外れて欲しい。だから、「こうなる」と断定しているんです。これ、本当に一生懸命やってるんですよ。
僕は『フォーリン・アフェアーズ』っていうアメリカの外交専門誌を定期購読しているんですけれど、アメリカの政治学者たちについて一番感心するのは、彼らがほんとうに「ディストピア的未来」について想像するのが好きだという点ですね。これは核戦争を阻止したという成功体験があるからなんだと思う。
今月号の特集は「米中戦争」でした。米中戦争がどういうようなきっかけで起きて、どういう展開になっていくのか。日本や韓国はどうなるのか、その悪夢的な未来が事細かに書いてある。読んだ中でこれはすごいなと思ったのは、日本と韓国に核武装させろという論文でした。
アメリカは中国に対してやっぱり強く出ないといかん、と。中国に対して宥和的な姿勢を示すと、中国はひたすら図に乗ってきて、東アジアでの膨脹政策に歯止めがかからない。だから、中国に対して強硬策に出るほうがいいと。そして、一番効果的なのは、日本と韓国に核武装させることだと言うんです。日本と韓国が核武装すると、東アジアの地政学的安定性は失われる。わずかな誤認や誤解がきっかけになって核戦争が始まるリスクが一気に高まる。
中国は東アジアで核戦争が起きることを望んでいない。だから、「このまま強気で来るつもりなら、日韓に核武装させるぞ」と脅したら、アメリカとの軍縮交渉協議のテーブルに着くかも知れない。そういう論文が出ていました。
ずいぶんひどいことを書くなと思いながらも、アメリカ人がこういうタイプの政治的想像力の使い方を重んじるということはよくわかりました。この論文を書いている政治学者はこれを別にアメリカの政策決定者に向かって提言しているだけじゃないんです。中国共産党の指導部が読むことを期待して書いている。『フォーリン・アフェアーズ』は中国共産党指導部の必読文献ですからね。アメリカは場合によっては日韓の核武装と、東アジアでの限定的な核戦争についても腹を括っていると中国に思わせた方がたしかに交渉上は有利だと思って書いている。「よりましな未来」を造形するために「最悪の未来」を差し出してみせている。
そういう政治的マヌーヴァーとしての効果を狙ったしたたかな論文だとは思うんですけれども、読んでいてがっくりしたのは、「日本は唯一の被爆国で核兵器に対してははげしいアレルギーがあったが、安倍晋三以来の自民党政治家たちのおかげで国民の核アレルギーが希薄化しているので、『核武装したいか?』と水を向けたら日本人は嬉々として核武装するだろう」と書いているところでした。こういうところにアメリカが日本を見下しているということが行間から滲み出しているのでした。
それでもやはり、東アジアで中国と日韓が限定的な核戦争をするという状況を想像できるアメリカ人の奔放な想像力には僕は敬意を表します。政治的知性とまでは言わないけど、この奔放な想像力には脱帽しなければいけないという気がします。そこまで考えて初めて、ではどうすれば東アジアでの核戦争は防げるのかという話が始まる。
米中戦争を避けるシナリオをきちんと書くためには、最悪のかたちで米中戦争が始まるのはどういう場合かについて想像力をめぐらせる必要があります。この点に関しては、今、日本は社会全体が集団で病に罹っていると僕は思います。想像力の枯渇という病気です。
若い人たちには、奔放な想像力を駆使して頂きたいと思います。「最悪のシナリオ」をどこまで書き込めるか、そこで想像力を試してもらいたい。最悪の事態について書けるためには、きちんとした知識が必要です。歴史が分かっていて、国際政治が分かっていて、それぞれの国民に取り憑いている地政学的な「物語」についても知識がないと「最悪のシナリオ」は書けません。「最悪のシナリオ」をエンターテインメントとして書けるだけの知識と解読力、それを身につけてもらいたいと思います。思考の自由、想像力の自由、僕が高校生諸君に一番求めていることはそれです。(9月9日、自由の森学園建学40周年記念講演の一部)