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内田樹さんの「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その6) ☆ あさもりのりひこ No.1590

アメリカの保険会社の圧力を受けて国民皆保険制度を壊そうとしている人たちが政府部内にいる。

 

 

2024年10月11日の内田樹さんの論考「自由の森学園40周年記念講演「教育と自由」」(その6)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 今、日本で起きているのは「21世紀の囲い込み」です。落ち目の日本資本主義をなんとかV字回復するために、過去の成功体験に学んで、過疎地と過密地を意図的につくり出そうとしている。人口も資源も東京に一極集中させる。残った地方はできれば過疎地を通り越して、無住地にしたい。無住地の方が過疎地よりも資本主義的には圧倒的に有利な状態だからです。

 今回の能登の地震で分かるとおり、過疎地は扱いが難しいんです。地域住民があれこれと復興事業や行政サービスを要求するからです。「いっそ人口ゼロになった方がまし」だと政府も自治体も、口には出さないけれども腹の中では考えている。早く住民がゼロになってくれないかなと思っている。無住地になってしまえば、もう行政コストはかからない。道路を通す必要もないし、上下水道を通す必要もない。行政機関を置く必要ない、警察も要らない、消防も要らない、学校も要らない、病院も要らない、何も要らない。無住地なら管理コストゼロです。

 ゼロどころか、人が住んでいなければ、何でもできる。原発を作ろうと、ソーラーパネルを並べようと、風力発電用風車を建てようと、産業廃棄物を棄てようと、誰も反対しない。空気を汚そうと、水を汚そうと、森林を切り倒そうと、何やってももう「地域住民の反対」というものがない。生態系をいくら破壊しても、抗議する人がいない。だって、そこには人が住んでいないんですから。

 これは苦境にある日本資本主義の延命にとってはものすごく「おいしい話」なんですよ。だから、一極集中が加速するのは当然なんです。単に若い人が都市の華やかさに惹かれてふらふらと故郷を離れるというだけの話じゃなくて、日本資本主義がそれを誘導しているんです。東京と福岡だけ残って、あとは無住地、生態系破壊し放題というのは、日本資本主義の「夢」なんです。

 今すでに日本の国土は可住地が30%です。70%が無住地です。日本は山が多いから仕方がありませんが、これが今から10年、20年のうちにこれが80%になり、90%になる。日本列島のほとんどが人の住めない土地になる。鉄道も道路も通っていないし、上下水道もないし、ガスも水道もない。警察も消防もないし、学校も病院もない。生態系の維持のために政府はもうコストを負担しないのですから、治山治水ということはなされないから山は崩れ、川は氾濫する。でも、地域住民がいないんですから別に誰も気にしない。そういう日本の未来像を「たいへん好ましい」と思っている人たちはさすがに今の日本の指導層にもいないと思います。でも、このままだとそうなるかも知れないということについては何の危機感も抱いていない。ただ、「市場の要請」に従って、言われたとおりのことをしている。

 

 ここにいる高校生の人たちにはぜひ僕の話をよく聞いてほしいんですけど、これは今、日本で起きつつあることです。皆さん方が大きくなる頃には、若い人の中には生きて22世紀を迎える人もいると思いますけれど、その今から80年後の日本列島がどうなっているか、それを見届けて欲しいと思います。

 よほど賢い政治家が出てくれれば、今、僕が描いたようなディストピアにならなくて済むかもしれません。でも、よほど賢い政治指導者が出て来なければ、だいたい僕が想像した通りになると思います。高い確率でこういうディストピアが展開する。ですから皆さんは、今の段階から「絶対にそういうことをさせない」と腹をくくって、日本という国をこれからどうすべきか。どう守るか、それを考えて、実践して行って欲しいのです。

 とにかくまずは生態系を守る。森や山や海や川を守る。それぞれの土地に固有の産業を守る。伝統を守る。宗教を守る。教育と医療を守る。

 自給自足しなきゃいけないものってとりあえず4つあります。エネルギーと食料と医療と教育です。これは海外にアウトソーシングしてはいけないものです。外国に頼ってはいけない。

 日本はエネルギーは自給率13.3%です。食料自給率は38%。医療はかろうじて自給自足できていますが、これも「医療費に税金を使い過ぎる」とずっと批判され続けています。アメリカの保険会社の圧力を受けて国民皆保険制度を壊そうとしている人たちが政府部内にいる。そして、教育だけは久しく自給自足してきましたが、これも今は危うくなりつつある。

 明治人は高等教育機関の地方への分散だけでなく、日本語で、日本人が高等教育を受けることができるシステムの整備に努めました。その結果、いまの日本は母語で高等教育を受けることができて、母語で論文を書いて博士号がもらえる世界でも例外的な非欧米言語圏の国です。でも、それもいつまで維持できるかわかりません。いろいろな分野において、最終学歴がアメリカの大学院でないと日本では使いものにならない、つぶしが効かなくなってきているからです。今の自民党の国会議員たちも、世襲の二代目三代目議員はおおかたが最終学歴はアメリカの大学か大学院です。別にアメリカにいかなければどうしても学べないことがあるからアメリカに留学しているわけではなく、ただ学歴に「箔をつける」ために留学している。でも、エリート層が国内ではなく海外の最終学歴を誇るようになるというのは、決してよいことではありません。「東大よりハーヴァードの方がレベルが高い教育を受けられるんだから、アメリカに行けばいいじゃないか」と平気で言えるような人たちは、明治の先人たちが必死につくりあげてきた「母語で世界最高レベルの教育研究ができる仕組みを作る」という悲願を理解していない。

 国立大学の独法化以後、運営交付金が減らされて、日本の国公立大学の学術的発信力は急坂を転げ落ちるように劣化しています。でも、これをどうやって回復させるかについて、政府には何のアイディアもありません。エリートたち自身がアメリカの大学、大学院を出ていて、その学歴を足場にしてキャリアパスを形成したという「成功体験」があるので、日本の高等教育機関を「アメリカと同じレベルにする」ことについてのインセンティヴがないんです。あるはずがない。だって、日本の大学のレベルが低ければ低いほど、自分のアメリカの最終学歴が輝くという仕掛けになっているわけなんですから。