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内田樹さんの「『新版 映画の構造分析』の「まえがき」」 ☆ あさもりのりひこ No.1659

集団の創造という点で映画に匹敵するジャンルはありません。

 

 

2025年2月26日の内田樹さんの論考「『新版 映画の構造分析』の「まえがき」」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

 『新版映画の構造分析』をお手に取ってくださってありがとうございます。とりあえず「まえがき」だけでも読んでください。すぐ終わりますから。

 この本の原型になっているのは、2003年に晶文社から出版された映画論です(もう20年以上前なんですね)。それが第三章までです。第四章からあとは、それ以後に僕が書いたもののうちから編集の安藤聡さんが選び出してくれた映画論です。いくつかは映画公開のときに公式パンフレットに掲載されたもの(『ハナレイ・ベイ』、『怪物』、『演劇1』、『演劇2』)、いくつかは商業誌に掲載されたものです。僕が過去20年間に書いた映画論のめぼしいものはほぼ網羅されることになりました。安藤さんのご尽力に感謝申し上げます。

 

 今回ゲラを通読して思ったのですが、映画について書く時と、それ以外のトピックについて書く時とでは、文体がずいぶん違っていますね。映画について話す時は文体のテンションが高いんです。

 読者は全員この映画をすでに観ているか、これから観る予定だということが前提になっているから、かなり前のめりになっている読者を想定して書くことができます。

 ふだんはそうはゆきません。道行く人の袖をとらえて、「ちょっといいですか。ちょっとだけ僕の話を聴いてもらえますか」と懇願する...という書き方です。ゼロから始めて、ていねいに説明しないといけない。

 でも、映画論ならその手間が要りません。前置き抜きでいきなり話を始めることができる。映画史的蘊蓄を傾けても、わがままな好き嫌いを言い募っても、妄想的な解釈をどこまでも暴走させても、結論が出せないままいきなり話が終わっても、「そんな映画論があるものか」と怒り出す人はいません。映画論て「そういうもの」だから。誰も学術的厳密性なんか要求しません。

 そもそも本書の前半部なんかは「映画論じゃなくて、映画論のかたちをとった現代思想入門である」というような名乗りをして映画論を展開しているんです。それでも通るということはつまり映画論というのはどんな形態を取っても構わないということなんです。

 誰かが決めたわけじゃありませんけれども、ずっと前からそういうものなんです。『カイエ・ドュ・シネマ』みたいな書き方をしてもいいし、『映画秘宝』みたいな書き方をしてもいい。スラヴォイ・ジジェクみたいに書いてもいいし、みうらじゅんみたいに書いてもいい。まことに自由な領域なのであります。だから、僕のテンションもつい上がってしまっています。

 それにもう一つ。あらゆる芸術作品は、それについて語られた言葉をも含めてはじめて「作品」として成立していると僕は思っています。僕たちは作品について語ることを通じて、作品にある種の「付加価値」を付与している。作品の創造に(間接的な仕方ですけれども)参与している。だからこそ、美術批評とか文芸批評という分野が存在しているわけです。そして、さまざまな芸術活動の中でも、とりわけ映画は批評の占める割合が多いと僕は思います。

 小説を書くとか、油絵を描くというような芸術創造の場合には、単一の「オーサー」がいて、きちんと全体を統御している。他人が横から口を出して作品制作に参与するチャンスはほとんどありません。当たり前ですよね。小説を書いている横から別の人が「ここはこう書いたらいいんじゃないの」なんて誰だってうるさく言われたくないです。

 でも、映画は違います。なにしろ、とんでもない数の人が映画一本の制作にかかわっています。エンドマークの後に、実に多くの人の名が(ケイタリングの人から会計士まで)列挙されています(いささかうんざりしますけれど)。でも、この執拗なまでの「関係者名の列挙」は映画が単一の「オーサー」による作品ではないという断固とした意思表示なのです。これだけ多くの人が「フィルムメイカー」としてこの映画に参与している。集団の創造という点で映画に匹敵するジャンルはありません。

 そして、僕は映画について語る人たちもまた、映画の創造に(事後的にですけれど)参与しているのではないかと考えています。映画が生き延びるためには、そういう人たちがどうしても必要だからです。

 

 ですから、エンドクレジットの一番最後でいいですから「この映画について語ってくれるすべての人」という一行があったら素敵なのに、と僕は思います。