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業務時間

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2024年

5月

16日

奈良マラソン2024への道 その7 ☆ あさもりのりひこ No.1520

5月10日(金)早朝、階段1045段、48分30秒、6.17㎞、平均ペース7分51秒/㎞、総上昇量91m、消費カロリー464㎉。

7分46秒、8分20秒、7分36秒

7分43秒、8分28秒、7分34秒

6分13秒(170m

 

5月11日(土)早朝、全力・ジョグ・全力、36分02秒、6.188㎞、平均ペース5分49秒/㎞、累積上昇94m、消費カロリー367㎉。

1 7分14秒(600m)

2 5分21秒

3 5分20秒

4 6分23秒

5 6分57秒(500m)

6 5分03秒

7 5分29秒

8 6分33秒(100m)

 

5月12日(日)午前、ロング走(前半)、3時間43分13秒、28.44㎞、平均ペース7分51秒/㎞、総上昇量744m、消費カロリー1949㎉。

1 7分10秒(上り下り)

2 7分20秒(上り下り)

3 7分45秒(上り)

4 7分04秒

5 7分30秒

6 6分33秒

7 7分13秒

8 7分33秒

9 7分28秒

10 7分53秒

11 7分42秒

12 7分16秒

13 6分56秒

14 7分15秒

15 7分32秒

16 9分25秒(上り)

17 8分23秒(上り下り)

18 8分59秒

19 8分34秒

20 8分17秒

21 7分04秒

22 6分37秒

23 8分59秒(上り下り)

24 7分26秒(下り)

25 8分17秒

26 9分05秒

27 9分51秒(上り下り)

28 8分45秒(上り下り)

29 7分39秒(440m

 

5月13日(月)、安足日。

 

5月14日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、傾斜2.0%、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

5月15日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

5月16日(木)早朝、ビルドアップ走、37分58秒、6.2㎞、平均ペース6分08秒/㎞、総上昇量82m、消費カロリー432㎉。

1 6分43秒(上り下り)

2 6分27秒(上り)

3 6分07秒

4 6分03秒

5 5分49秒(下り)

6 5分43秒(上り下り)

7 5分36秒(200m

 

しっかりビルドアップできた。

2024年

5月

15日

内田樹さんの「安倍政権の総括」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.1519

僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概がある方がいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―田中角栄の時代には「五大派閥」が互いに拮抗し、「角福戦争」と呼ばれる事態にも発展しました。

 

内田 僕の知り合いで、学生時代に過激派だった男が、就職先がなくて、父親のつてで田中角栄に頼み込んだら「若い者は革命をやろうというぐらいの気概がある方がいい」と言って就職先を紹介してくれたそうです。彼はたちまち越山会(田中角栄の後援会)青年部の熱心な活動家になった。たしかに目くじら立てて「排除する」より「抱き込む」方が政治的な費用対効果はいい。こういう技を駆使する「食えないオヤジ」たちがかつての自民党にはたくさんいました。

 

―様々な層の支持を自民党が一手に受け入れていたのに、党が自ら懐を狭めていったと。

 

内田 中選挙区制の下では、たとえば群馬三区では福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三が同じ選挙区で「上州戦争」と呼ばれるほどの激烈な選挙戦を展開しました。三人がそれぞれに地方組織の充実に努めたので、派閥抗争が激化した結果、自民党全体の足腰も強くなるということが起きた。

 ところが、ある時期から「派閥政治はよくない」という話になった。政治が派閥の間の密室のやりとりで決まるという非民主的なプロセスと、「政治とカネ」の醜聞に国民がうんざりしたからですから、そうなって当然なんですけれども、そのバックラッシュで、今度は「政党は上意下達で、一枚岩の組織であるべきだ」という極端な話になった。

 小選挙区制によって、公認権を握る党執行部に権力が集中したということもありますけれど、政治家が「政党のあるべき姿」についてそれまでと違うモデルを選んだことも大きく影響していると思います。

 かつての自民党の政治家たちが合意形成のモデルにしたのは「農村共同体」でした。農業従事者が日本の労働者の50%を超えていた時代に育った人たちですから当然です。彼らは村の寄り合いでものを決めるように、長い時間をかけて合意を取り付けた。でも、戦後世代の政治家たちはもう農村の合意形成システムなんか知りません。知っている組織といえば株式会社です。

 株式会社では合意形成に手間をかけたりはしません。CEOが一人で経営方針決めて、それが下に示達される。トップのアジェンダに同意する人間が登用され、反対する人間は排除されるのは株式会社では当然のことです。CEOの経営判断の適否の判断は「マーケット」が下す。従業員が合議して決めるわけじゃない。どんなジャンクな商品であっても、マーケットに出したら、バカ売れして、売り上げが伸びて、株価が上がったら、それを決めたCEOは正しかったということになる。「マーケットは間違えない」というのは資本主義の基本ルールです。

 株式会社では、事前に合意形成はしません。トップに決定権を与えて、事後の実績でその良否を決定する。ある時期から、政治家もメディアも何かというと「民間ではあり得ない」という決まり文句を口にするようになりましたが、あれは要するに「株式会社的ではない」という意味です。生まれてからずっと株式会社のような組織しか見たことがない人は、「組織というのは、そういうものだ」と信じているから、政党も行政も学校も医療もすべて株式会社のようなものに仕立て直そうとする。

 自民党もある時期から「政党は株式会社のように組織化されるべきだ」と思い込む人たちが多数派になりました。トップに全権を委ねて、トップは自分のアジェンダにもろ手を挙げて賛成してくれる「お友だち」や「お気に入り」を重用して、反対意見を述べたり、懐疑的な態度をとる人間を政治家でも官僚でも遠ざけるようになる。そうして9年経ったら、上から下まで「イエスマン」ばかりで占められるようになった。

 

―党の「株式会社化」はどのようなタイミングで始まったのでしょうか。

 

内田 決定的だったのはバブル崩壊だと思います。成長が止まり、「パイ」の拡大が止まった。人間というのは「パイ」が大きくなっている間は分配の仕方にあまり文句を言ったりしないんです。自分の取り分が増える限り、分配方法はあまり気にしない。でも、「パイ」の拡大が止まり、縮小に転じると、いきなり分配方法が気になりだす。「おい、いったいどういう基準でパイを分けているんだよ。誰か『もらい過ぎ』のやつがいるんじゃないか。オレの『取り分』を誰かが横取りしているんじゃないか」という猜疑心が生まれてくる。

 90年代の終わりくらいからですね、「パイの分配方法」がうるさく議論されるようになったのは。それまでは「どうやってパイを大きくするか」が優先的な課題だったのに、ある時期から「どうパイを分配するか」の方が優先的な話題になった。もちろん、そんなことにいくら時間を費やしても「パイ」は大きくならないんですよ。ひたすら縮んでゆくだけです。そうすると一層うるさく「パイの分配方法」はどうあるべきかについての議論に熱中するようになった。

 その時に、「社会的有用性・生産性・上位者への忠誠心」を基準にして資源は傾斜配分すべきだということを小賢しいやつらが言い出した。「役に立つやつ」と「役に立たないやつ」を差別化して、「役に立つやつ」に多めに配分し、「役に立たないやつ」には何もやらないようにしよう、と。その頃からです、生活保護受給者へのバッシングとか、「もらい過ぎ」の公務員叩きとか、格付けとか評価とかいうことがうるさく言い出されたのは。どれもやっていることは同じです。もう「パイ」が大きくならないのだから、自分の取り分を増やすためには他人の取り分を減らすしかない。どうすれば「他人の取り分を減らす」ことができるか。その理屈を考えることにみんな夢中になった。「外国人」や「反日」や「あんな人たち」は公的支援を受ける資格がないという話を人々がするようになったのは、資源分配で「他人の取り分」が気になるようになったからで、要するに日本人が「貧乏になった」からです。「貧すれば鈍す」です。

 

 株式会社化というのも、この時に出てきた「格付け」趨勢の一つの現れです。株式会社では能力よりも忠誠心が重んじられる。上位者の命じるものであれば、「無意味なタスク」であっても黙って果たす人間が重用される。「こんな仕事、意味ないじゃないですか」と直言する人間は嫌われ、排除される。忠誠心とイエスマンシップを勤務考課で最優先に配慮する。これが株式会社の人事の最大の弱点なんですが、「株式会社化した自民党」もこの弊害を免れることができなかった。

2024年

5月

14日

橿原市土橋町の「ほのぼのベーカリー」さんに行ってきました@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

先日11日は、普段なかなか見ることのできないオーロラが世界各地で見られたと

ニュースになっていましたね。

当初、気象予報士の方が日本ではおそらく北海道でしか見られないと言っていたのが、

翌朝、青森・岩手・新潟や被災地の石川県珠洲市、さらには兵庫県や愛知県などでも

見られたとのニュースを見て・・・ちょっぴりショックを受けました(゚Д゚)

 

今回、太陽フレアの活動が活発で見ることができたようですが、

これまでの統計からすると来年が活発になる周期だとか。

来年再びチャンスがあることを期待します! 

 

さて、普段裁判所などへ行き来する度、気になっていた中和幹線沿いにあるパン屋さんに

行ってきました。

 

「ほのぼのベーカリー」

 

住所:奈良県橿原市土橋町163-18

 

営業時間:月・火・金・土・日

     9:00~18:00

     ただし、売り切れ次第閉店 

 

定休日:水曜・木曜

 

 

公式サイト https://www.instagram.com/honobonobakery23/

 

今年の3月にオープンしたばかりのお店ですが、店内は明るい雰囲気で、

ざっと見て約30種類くらいのパンが並んでいました。

 

 

お昼前に入ったのですが、店内を見ている間にも次から次へお客さんが入ってきて、

どれにしようか迷っている間に、いつの間にかカレーパンが売り切れていて

ガッカリしていると、後ろからお姉さんが、「チーズカレーパンまだありますよ」と

声をかけていただき補充に来てくれたので、すかさずGET(*’-‘*)v

 

このほか、レジ横には、フォカッチャサンドなども並んでいて、どれも美味しそうで

お昼前でペコペコなお腹の音が思わず鳴りそうに😅

 

今回私が購入したチリマヨチキンは、カリっと揚がった唐揚げとチリマヨソースが

ほどよい辛さで食欲をそそり、フォカッチャもモチモチで美味しかったです。

 

平日限定のチーズカレーパンも、外側はカリっとしていて、

中にたっぷり入っているカレーが美味しかったのでリピ決定😆

 

ちなみに、改めてお店のインスタグラムを拝見すると、

和風だしを生地に練り込んだだしバケットもお勧めらしく・・・

う~ん、次回のお楽しみにしておきます♡

 

2024年

5月

13日

内田樹さんの「安倍政権の総括」(その2) ☆ あさもりのりひこ No.1518

日本は主権国家ではなく、アメリカの軍事的属国に過ぎない

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その2)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

―彼ら二人が政権の座について実現したかったこととは、何だったのでしょうか。

 

内田 安倍さんの場合はかなり屈折しています。彼の見果てぬ夢は「大日本帝国の再建」です。ただし、一つだけ条件が付く。それは「アメリカが許容する範囲で」ということです。アメリカの「お許し」を得て、大日本帝国的な統治システムとイデオロギーを復活させること、それが安倍晋三の野望です。主観的には、祖父・岸信介の果たされなかった夢を受け継いでいるつもりなのでしょう。ただ、問題は日本は太平洋戦争でアメリカの若者たち16万5千人を殺した「旧敵国」だということです。大日本帝国の軍事的再建をアメリカは自国の安全保障上絶対に許しません。ただ、米軍は日本の自衛隊を米軍指揮下で自由に運用したいと思っているし、アメリカの軍産複合体は在庫で余っている兵器を日本に売りつけたい。だから、限定的には軍備を拡充することは許すけれども、米軍のコントロール下での活動しか認められないという条件は譲らない。

 その結果、安倍さんの「大日本帝国再建計画」は「アメリカの許諾を得て、アメリカ以外の国と戦争する権利」を手に入れるというきわめてねじくれたものになっている。その権利さえ手に入れれば、国際社会でもっと「大きな顔」ができると思っている。日本が中国や韓国や北朝鮮に侮られているのは「戦争ができない国」だからだと彼は思い込んでいる。

 憲法を改正して、「アメリカの許諾さえあれば戦争ができる国」になれば国際社会での地位が高まると彼は信じている。でもそれは、日本は主権国家ではなく、アメリカの軍事的属国に過ぎないということを国際社会に向けて改めてカミングアウトすることに他なりません。「日本はアメリカの属国だぞ」と大声で宣言することによって、国際社会から崇敬の念を抱かれ、隣国から恐れられると本気で思っているとしたら、かなり思考が混乱していると言わざるを得ません。

 その一方で、国民の基本的人権を制約して、反政府的な人は徹底的に冷遇し、弾圧することについては安倍・菅政権はきわめて熱心に取り組み、みごとな実績を上げてきました。それは、この点についてはアメリカの許諾が不要だからです。

 アメリカは自国益に資すると思えば、どんな独裁者とも手を結びます。アジアや中南米の独裁者たちがどれほど非民主的な政治を行っても、同盟国である限り、アメリカはまったく気にしなかった。ですから、日本の極右が「大日本帝国再建」のために国内をいくら非民主化しても、アメリカは口を出しません。この点については日本に政治的なフリーハンドが与えられている。

 大日本帝国の再建のためには何よりもまず日本の統治者であり続ける必要がある。そのためには、アメリカから「属国の代官」として承認される必要がある。そのためには自国益よりもアメリカの国益を優先する必要がある。こうやって安倍は「アメリカの国益を最優先に配慮するナショナリスト」という非常にねじくれたものになった。でも、この「ねじれ」は深いところでは日本人全員が共有しているものです。

「対米従属を通じて対米自立を果たす」という「ねじれた」国家戦略を戦後日本は選択しました。それ以外の選択肢がなかったのだから仕方がありません。まず徹底的に対米従属する。そして、同盟国としてアメリカから信頼を獲得する。しかるのちにアメリカからある日「これまでよく仕えてくれた。これからはもう一本立ちして、自分の国は自分で差配しなさい」と「のれん分け」を許される...というシナリオを戦後日本人は夢見てきました。従業員が主人に尽くせば尽くすほど「自立」の日が近づくと信じるのと同じです。ですから、まことに不思議なことですけれども、「もっとも対米従属的な人が、もっとも愛国的な人である」という図式が戦後日本では成り立ってしまった。

 でも、この「ねじれ」は日本人全員が深いところで共有してきたものです。日本人が集団として抱え込んでいる自己欺瞞を安倍さんは際立った仕方で演じて見せたに過ぎません。それが彼が一部の日本人から熱狂的な支持を得た理由でしょう。

 これに対して菅さんにはそもそも実現したい幻想的なビジョンがありません。就任して最初に挙げたスローガンが「自助、共助、公助」でした。国民に向かって、「自分のことは自分で始末しろ。手が足りなかったら周りを頼れ。国にはできるだけ頼るな」とまず公言するところから仕事を始めた。国民に向かって、「できるだけ国に仕事をさせるなよ」と言ったわけです。ふつう政治家になるのは国民のために何か「よきこと」をしたいからですが、彼は別に実現したい政治目標がなかった。興味があるのは、権力者の座にたどり着くことだけだった。そのための裏工作や恫喝は得意でしたけれど、政権の座に上り詰めてから、やりたいことは何か考えたら「できるだけ国民のためには仕事をしたくない」というのが一番やりたいことだったということに気がついた。

 

―1955年以降続いた長期自民党政権と今の自民党政権とでは、政治の質はどのように変わったのでしょうか。

 

内田 55年体制当時の自民党は、ハト派からタカ派まで、立場を異にする人たちが集まっていました。例えば、僕のかつての岳父も自民党の代議士でしたが、戦前は日本共産党の中央委員で、特高に捕まって拷問された経験を持っていました。逆に、岳父の叔父は、戦前は農本ファシストだったけれども戦後は社会党の国会議員でした。だから、「所属政党は違うけれど、人間はよく知っている」ということが多々あったわけです。そういう人間的なネットワークが基になって、55年体制のいわゆる「国対政治」はできていたのだと思います。

 自民党の内部でもイデオロギー的な統一性はなかった。だから、ある政権がきわめて不人気な政策をとって支持率が急落した場合でも、「疑似政権交代」によって、有権者の目をそらして、政権を維持することができた。

 

 岸信介内閣の時、60年安保闘争で国論が二分した後には、「寛容と忍耐」、「所得倍増」を掲げる池田勇人内閣が登場して、「不愉快な隣人とも共存する」という国民融和が図られた。佐藤栄作内閣の時代にはベトナム戦争をめぐって国論が二分しましたけれど、次に登場した田中角栄内閣は「日本列島改造論」を掲げて、全国民が経済的に受益する政策によって国民融和を図った。分断的な政治家の後には融和的な政治家が登場して、国内の対立を鎮める。そういう「二人羽織」のような巧妙な術を使うことで、自民党の長期政権は維持された。

2024年

5月

10日

内田樹さんの「安倍政権の総括」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.1517

随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「安倍政権の総括」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『自民党失敗の本質』(宝島社、2021年)に収録されたインタビュー(2021年8月に行われた)。もう3年近く前のものだけれど、自民党政治の内在的批判としては今でも有効だと思う。

 

―菅内閣の支持率は下落の一途を辿り、2021年8月の報道各社の支持率は30%を切りました。この1年間の菅政権の動きをどのように評価されていますか。

 

内田 随分長く日本の政治を見てきましたけれども、正直言って、最低の部類に入るんじゃないかと思います。ひと昔前だったら内閣が吹っ飛んでしまうような事態が、第二次安倍権以降何度もあったけれども、ここまでひどい内閣というのは過去に例がなかった。

 たとえば2021年8月6日、広島での平和祈念式典でのスピーチが象徴的でした。菅さんは丸々1ページ、核廃絶に向けた日本の立場を示す約120字の原稿を読み飛ばしてしまい、結果的には意味の通じないセンテンスを発語してしまいました。

 僕が一番驚いたのは、そうした「意味をなさない言葉」を平然と読み続けた点です。普通、無意味なセンテンスを発してしまったとき、気持ち悪さを感じて言い淀んでしまうものです。しかし菅さんは、意に介する様子もなく堂々と読み切った。普段も官僚がつくったメモをただ読んでいるだけで、その日も同じだったのかもしれませんが、意味のない言葉を口にしても気にならない、非常に強い「無意味耐性」を持つ人だと感じましたね。

 

―いつも棒読みするばかりで、意味のある言葉を持ち合わせていない。

 

内田 政治家にとって一番たいせつな能力は、国民に言葉を届かせる力です。これまでの出来事をどのように評価して、これから何をするべきか、届く言葉で語ることが不可欠なはず。雄弁でなくとも、「私の気持ちを理解して欲しい」という真率な思いがあれば、言葉は伝わります。でも、菅首相はそもそも国民に言葉を届かせる気がなかった。「言葉を届けること」より「言質を取られないこと」の方を優先した。これは、政治家としては致命的なふるまいだと思います。官房長官だった頃のこのコミュニケーションを拒否する姿勢を「鉄壁」などと持ち上げて、国のトップに就くのを許してしまったメディアの責任は重いと思います。

 

―言葉でアピールするという点では、たとえば小泉純一郎元首相などは、非常に言葉巧みだったという印象を多くの人が持っていると思います。

 

内田 小泉さんもしばしば言葉が空疎でした。「人生いろいろ、会社もいろいろ(年金加入問題が追及された時の発言)」とか、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域だ(イラク特措法における「非戦闘地域」の定義についての答弁)」とかありました。でも、彼の場合、詭弁を弄している時には、ごまかしているという自覚はあって、顔に疚しさが浮かんでいました。でも、安倍・菅の2人は、嘘をつくことに対する疚しさをまったく感じさせない。ただ言葉が流れてゆくだけで、ためらいがない。そこに違いがあると思います。

 ですから、小泉純一郎的雄弁というのは、言葉によって国民の耳目を引き付けるだけの力があった。大きな反発があるなかでも郵政民営化やイラク戦争への加担といった政治的決断をできたのは、「そこまで言うなら、小泉さんに下駄を預けようか」という国民の支持を集めるだけ言葉に力があったからです。

 しかし、安倍・菅からは「ぜひ自分を支持してほしい」と懇請する気持ちが伝わってこない。賛否の判断に迷っている国民の袖をつかんで、自分の方に引き寄せるという気が感じられない。自分の支持者から拍手喝采されることは当てにしているのでしょうけれども、自分の反対者や無党派層を説得して、一人でも支持者を増やそうという気概がまったく感じられなかった。

 

―安倍・菅両氏が、国民からの支持形成に熱心でないのはなぜでしょうか。

 

内田 有権者の過半の支持を得なくても選挙には勝てることが分かったからです。選挙をしても、国民の約5割は投票しない。だから、全体の3割の支持を受けられれば選挙では圧勝できる。今の選挙制度でしたら、3割のコアな支持層をまとめていれば、議席の6割以上を占有できる。だったら、苦労して国民の過半数の支持を集めるよりも、支持層だけに「いい顔」をして、無党派層や反対者は無視した方がむしろ政権基盤は盤石になる。そのことをこの9年間に彼らは学習したのです。

 

―つまり、自分を支持してくれる人の歓心を買うことしか念頭になかったと。

 

内田 敵と味方に分断して、味方には公費を費やし、公権力を利用してさまざまな便宜を図る。反対者からの要望には「ゼロ回答」で応じて、一切受け付けない。それが安倍・菅的なネポティズム(縁故主義)政治です。森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議、すべてそうです。

 ネポティズムというのは発展途上国の独裁政権ではよく見られます。韓国の朴正熙、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルト政権など、長期にわたって独裁的な政権を維持した国ではどこでも独裁者とその取り巻きたちが公金を私物化し、公権力を私的に利用していました。けれども、どの国でもある時点で、民主化闘争が起きて、公的なリソースはその政治的立場にかかわらず国民に等しく分配されなければならないという考えが常識になった。それが近代民主主義というものです。

 しかし、安倍・菅政権では、開発途上国のようなネポティズム政治への逆行が進んだ。ふつうはあり得ないことです。ネポティズム政治を続けていれば、社会的公正が損なわれ、統治機構に対する国民の信頼が傷つき、国際社会における地位の低下をもたらす。つまり、国力が低下する。そんなことは誰でもわかっているはずなのに、安倍・菅政権はあえて後進国の統治形態をめざした。

 

 ふつう、こんな政治が続けば、国民は怒りを感じて、選挙で野党に投票して、政権交代をめざすはずですが、日本ではそれが起きなかった。現政権から「いい思い」をさせてもらっている支持層は自己利益を確保するために投票に行くけれども、何を言っても、何をしても、まったく政治に意見が反映されないという無力感に蝕まれた人たちは、投票に意味を感じなくなって、投票さえしなくなった。その結果、投票率が50%を切り、有権者全体の4分の1を超えるくらいの支持を固めれば選挙に圧勝できるという「必勝の方程式」が完成した。

2024年

5月

09日

奈良マラソン2024への道 その6 ☆ あさもりのりひこ No.1516

4月26日(金)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏。

 

4月27日(土)早朝、インターバル走、35分44秒、6.208㎞、平均ペース5分45秒/㎞、累積上昇80m、消費カロリー375㎉。

6分46秒(200m)

5分30秒、7分15秒(200m)

5分25秒、6分10秒(300m)

5分44秒、7分51秒(200m)

5分24秒、6分32秒(200m)

5分33秒、5分19秒(100m)

 

4月28日(日)午前、ロング走(後半)、3時間33分02秒、26.4㎞、平均ペース8分04秒/㎞、総上昇量465m、消費カロリー1808㎉。

1 7分01秒(上り下り)

2 7分10秒(上り)

3 7分07秒

4 8分06秒

5 10分27秒(上り)

6 9分53秒(上り)

7 6分02秒(下り)

8 5分49秒(下り)

9 6分39秒

10 7分01秒

11 8分36秒

12 6分56秒

13 7分34秒

14 7分09秒

15 6分52秒

16 6分41秒

17 7分42秒

18 7分07秒

19 8分18秒

20 7分02秒

21 9分12秒

22 9分59秒

23 11分09秒

24 12分20秒

25 9分08秒(下り)

26 8分53秒(上り下り)

27 8分05秒(400m

 

4月29日(月・祝)安足日。

 

4月30日(火)、早朝、丘の階段641段、55分48秒、7.23㎞、平均ペース7分43秒/㎞、総上昇量160m、消費カロリー538㎉。

1 7分15秒(上り下り)

2 7分27秒(上り)

3 8分20秒

4 9分24秒(階段)

5 9分19秒

6 6分14秒(下り)

7 6分26秒(上り下り)

8 6分02秒(230m

 

5月1日(水)、早朝、雨、西園美彌さんの魔女トレ。

 

5月2日(木)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

5月3日(金・祝)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

5月4日(土・祝)早朝、ウインドスプリント300m×10本、51分39秒、7.665㎞、平均ペース6分44秒/㎞、累積上昇122m、消費カロリー536㎉。

7分03秒、7分04秒、8分03秒(100m)

4分37秒/㎞、4分52秒/

4分36秒/㎞、4分46秒/

4分18秒/㎞、4分46秒/

4分10秒/㎞、4分26秒/

4分22秒/㎞、4分26秒/

7分13秒、6分45秒、7分00秒(100m)

 

5月5日(日)早朝、テンポ走、37分36秒、6.2㎞、平均ペース6分04秒/㎞、総上昇量86m、消費カロリー418㎉。

6分58秒

7分00秒

5分51秒

5分57秒

5分24秒

5分23秒

5分30秒(200m

 

5月6日(月・祝)早朝、ジョギング、1時間27分33秒、12.36㎞、平均ペース7分05秒/㎞、総上昇量211m、消費カロリー844㎉。

1 7分09秒(上り下り)

2 7分29秒(上り)

3 7分40秒(上り下り)

4 6分52秒

5 6分49秒

6 6分43秒

7 7分02秒

8 7分02秒

9 7分21秒

10 8分22秒(上り下り)

11 6分14秒(下り)

12 6分35秒(上り下り)

13 6分12秒(360m

 

5月7日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、傾斜2.0%、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

5月8日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

5月9日(木)早朝、坂道ダッシュ300m×3本、45分15秒、6.38㎞、平均ペース7分05秒/㎞、累積上昇133m、消費カロリー512㎉。

6分59秒、7分10秒、6分39秒(600m)

1分50秒(6分18秒/㎞)

1分51秒(6分01秒/㎞)

1分50秒(6分09秒/㎞)

 

7分55秒、6分54秒、6分34秒(300m)

2024年

5月

08日

内田樹さんの「コミュニズムのすすめ」 ☆ あさもりのりひこ No.1515

貧富は個人について言うものではない。共同体について言うものである。

 

 

2024年5月1日の内田樹さんの論考「コミュニズムのすすめ」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『だからあれほど言ったのに』所収の一文であるが、これをブログに上げたのは、ある学習塾の小学校六年生対象の模試に以下の文章が使用されたからである。これを小学校六年生に読ませたのか・・・と思うと驚く。世の中は変わりつつあるのかも知れない。

 

 

 現代日本の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。富裕層に属し、権力の近くにいる人たちは、それをもっぱら「公共財を切り取って私有財産に付け替える」権利、「公権力を私用に流用する権利」を付与されたことだと解釈している。公的な事業に投じるべき税金を「中抜き」して、公金を私物化することに官民あげてこれほど熱心になったことは私の知る限り過去にない。

 税金を集め、その使い道を決める人たちが、公金を私財に付け替えることを「本務」としているさまを形容するのに「貧乏くさい」という言葉以上に適切なものはあるまい。今の日本では「社会的上昇を遂げる」ということが「より貧乏くさくなること」を意味するのである。

 いや、ほんとうにそうなのだ。現代日本の辞書では、「権力者」というのは「公権力を私用に使い、公共財を私物化できる人」のことなのである。そういう身分になることを目標にして、人々が日々額に汗して努力している以上、国があげて「貧乏くさく」なるのも当然である。

 私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。

 それなら、どういう社会が「貧乏くさく」ないのか。とりあえず私が敗戦後の日本で見聞した「共和的な町内」はそうだった。他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する。言ってみればそれだけのことである。現に大人たちがそのようにふるまい、それが「ふつう」なのだと子どもたちが思うなら、その社会は、たとえ物質的に貧しくても、「貧乏くさく」はない。私はできるならそのような社会に暮らしたい。

「公共財」を英語では「コモン(common)」という。原義は「入会地・共有地」のことである。囲いのない森や草原で、村落共同体が共有し、共同管理する。村人はそこで家畜を放牧したり、魚を釣ったり、鳥獣を狩ったり、果樹を摘んだりする。個人の私財が乏しい村人でも、豊かなコモンを持つ共同体に属していれば、豊かな生活を送ることができる。

 ヨーロッパでは中世からどの国でも「コモン」に類するものがあった。代表的なのはフランスの「コミューン(commune)」で、これはカトリックの教区が基本となる行政単位で、構成員100名くらいの小さなコミューンからマルセイユのような構成員100万人というサイズのコミューンまでさまざまなものがあるが、どれも行政単位としてのステイタスは等しい。コミューンの中心には教会があり、広場をはさんでその向いには市庁舎があり、市議会が開かれ、市長が選ばれる。

 ドイツには古代から「マルク協同体(Markgenossenschaft)」というものがあった。土地は部族共同体で共同所有され、生産方式も強く規制されており、土地の売買は禁止され、収穫物は基本的に共同体内で消費され、木材や肉やワインの共同体外への持ち出しも禁止されていた。土地は誰のものでもなく、それゆえ収穫物が誰かの私財になることもなく、その結果、支配―被支配という関係は生じなかった。晩年のマルクスがあるべき「コミュニズム(コミューン主義)」社会を思い描いた時に、その構想の素材はゲルマンのマルク協同体にあったと斎藤幸平は『人新世の「資本論」』の中で論じている。

「豊か」というのは、私財についてではなく、公共財についてのみ用いられる形容詞であるべきだと私は思う。仮にメンバーのうちの誰かが天文学的な富を私有して、豪奢な消費活動をしていても、誰でもがアクセスできる「コモン」が貧弱であるなら、その集団を「豊かな共同体」と呼ぶことはできない。身分や財産や個人的な能力にかかわらず、メンバーの誰もが等しく「コモン」からの贈り物を享受できること、それが本質的な意味での「豊かさ」ということだ。マルクスはそう考えていたし、私もそう考える。私財の増大よりも、メンバー全員を養うことができるほどにコモンが豊かなものになることを優先的に気づかう態度のことを「コミュニズム」と呼ぶのだと私は思う。個人的な定義だから一般性は要求しないが、それでよいはずである。

 貧富は個人について言うものではない。共同体について言うものである。私たちにとってほんとうに死活的に重要なのは、われわれの社会内にどれほど豊かな個人がいるかではなく、われわれの社会がどれほど豊かなコモンを共有しているかである。豊かであるか貧しいかを決定するのは、リソースの絶対量ではない。その集団の所有する富のうちのどれほどが「コモン」として全員に開放されているかである。

 この定義に従うなら、日本だけでなく、いまの世界はひどく貧しい。世界でもっとも裕福な8人の資産総額は世界人口のうち所得の低い半分に当たる37億人の資産総額と等しい。これを「豊かな世界」と呼ぶことに私は同意しない。

 だが、そのことに気づいて、もう一度日本を「豊かな」社会にしようという努力を始めている人たちがいる。それは別にGDPをどうやって押し上げるかという話ではない。どうやってもう一度「コモン」を豊かにするかということである。

 最近、私の周囲でも、私財を投じて「みんなが使える公共の場」を立ち上げている人たちをよく見かけるようになった。私自身も10年ほど前に自分で神戸に凱風館という道場を建てた。武道の稽古だけではなく、能舞台としても使えるように設計してもらったので、畳の上に座卓を並べてゼミをしたり、シンポジウムをしたり、映画の上映会や浪曲、落語、義太夫などの公演もしている。ささやかではあるけれども、これも一つの「コモン」だと私は思っている。

 そういうささやかなコモンを日本中で多くの人たちが今同時多発的・自然発生的に手作りしている。そういう人たちの活動は別に聴き耳を立てなくても、自然に耳に入るし、思わぬところで出会う。そして、気がつけばずいぶん広がりのあるネットワークがかたちづくられている。

 この手作りの「コミュニズム」はかつてのソ連や中国の共産主義と本質的なところでまったく違うものだと思う。というのは、この新しい「コミュニスト」たちは富裕者や社会的強者に向かって「公共のために私財を供出しろ。公共のために私権の制限を受け入れろ」とは強制しないからである。公共をかたちづくるためにまず身を削るのは「おまえ」ではないし「やつら」でもない。それは「私」である。

 

 そう思い切ることからしか豊かな社会は生まれない。同意してくれる人はまだ少ないけれど、私はそう確信している。

2024年

5月

07日

近鉄八木駅前の活力源

本日、5月7日は事務局が担当です。

ゴールデンウィークが終わって、仕事に戻っていると思いますが、休みとの切換はできていますでしょうか?

さて、みなさんは、五月と言えば何色をイメージされますか?

私は、やはりシンプルに言って紫(パープル)です。

なぜかと言えば、五月に咲く花の色から連想するからです。

その花としては、菖蒲、藤、ラベンダー等です。

最近は野山に出かけるのが少ないですが、アザミの花も紫ですね。

しかし、近年の温暖化のせいか、近隣の藤は殆ど満開を過ぎている様で、季節感が変わってしまうのではないか心配です。

そして、近鉄八木駅前の花壇には、以前から何度かお伝えしてきているラベンダーが今年も満開です。

近鉄八木駅前のラベンダー
近鉄八木駅前のラベンダー

さらに、なら法律事務所の入っているセレーノビルの南側の   花壇のラベンダーも五分咲きです

今日のように、陽の光を浴びている花はとても色が映えています。

近鉄八木駅から、なら法律事務所へお越しの際、もしくは帰り道にちょっと回り道をして、ラベンダーをご観賞下さい。

残念ながら、側に近づかないと、心に安らぎをもたらしてくれるラベンダーの香りを感じることはできませんが、花を観るだけでも癒やされると思いますよ。

健やかな日々を過ごすためにも、心に癒しが必要です。

また例年どおり、近鉄八木駅前周辺のつばめの巣には、つばめが何羽も来ていて、巣作りをしています。

近い内には、生まれたヒナのエネルギッシュな声が響くようになり、その声からは元気がもらえると思います。

みなさんも日々の生活の中で、癒やされる、元気をもらえる何かを見つけて、日々の生活をより活き活きと過ごしましょう!

2024年

5月

02日

4月のラディ、タニタ、ガーミン&エプソン ☆ あさもりのりひこ No.1514

4月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2024年4月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0442μ㏜/h

室内0メートル 0.0448μ㏜/h

室外1メートル 0.0566μ㏜/h

室外0メートル 0.0701μ㏜/h

数値は低めだ。

 

つぎに、朝守の身体について。

2024年4月27日の数値はつぎのとおり。

体重 70.50㎏

BMI 22.

体脂肪率 15.0%

筋肉量 56.85㎏

推定骨量 3.1㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1633/

体内年齢 49才

体水分率 59.8%

体脂肪率は悪くないが、内臓脂肪が減らない。

 

最後に、2024年4月のランニングの結果。

走行時間 19時間47分41秒

走行距離 161.664㎞

  累積標高 2892m

  走行時間は、20時間まであと一歩だった。

  走行距離は今年はじめて150㎞を超えた。

  累積標高も今年最高値を記録した。

 

 

 

2024年

5月

01日

内田樹さんの「未来について」 ☆ あさもりのりひこ No.1513 

意を決して「えいや」とばかりに未来に身を投じてみないと、自分がほんとうに望んでいたことが何かも、自分がほんとうになりたかったものが何かもわかりません。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「未来について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

僕はよく講演に呼ばれます。胸を衝かれるのはどこに行っても聴衆のほとんどが高齢者であることです。若い人をみかけることはほとんどありません。告知が若い人たちの心に届いていないせいだと思います(「高齢者大学」とか「九条の会」だと若い人はタイトル見ただけでスルーするでしょうから)。

 でも、僕が話すのは若い人にこそ聴いて欲しい話なんです。人口減社会において生き残る雇用は何かとか、格差社会においてどうやって弱者のための相互扶助システムを構築するかとか、ポスト資本主義の共同体はどうあるかとか、どちらかと言うと「70歳過ぎの人間にはあまり関係ない話(だって、もうすぐ死ぬから)」で、若い人の未来に切実にかかわることなのに、肝心の若い人は聴きに来てくれません。

 どうしてなんでしょうか。自分たちの未来にあまり興味がないのでしょうか。未来のことを考えると、なんとなく気持ちが沈んで来るから、できるだけ先のことは考えない。そういうことなのかも知れないと思います。

 前に『ドリーム・ハラスメント』という本を読みました。大学生や高校生が「あなたの夢は何ですか?」「10年後の自分はどうなっていると思いますか?」というタイプの質問を受けると気鬱になるという現象を分析したものです。

 不思議ですよね。「夢を語る」というのは、楽しい作業のはずです。でも、そうなっていない。むしろ自分の未来について考えることに苦痛を感じる。それを無理やり言わされるとやむなく「一部上場企業に勤める」とか「公務員になる」とか「TOEICのスコアを上げて留学する」とか答える。でも、それってずいぶん「現実的な夢」じゃないですか。そして、「現実的な夢」ってもう「夢」じゃなくて、単なる「キャリアについての計画」でしょう。夢というのは、本来もっと奔放で、ワイルドで、没論理的なものじゃないんですか。いったいいつからか、「将来計画」のことを「夢」と言い換えるようになったんでしょう。

 それともう一つ、「自分探し」という教育目標も、若い人たちの「未来をみつめる」意欲をずいぶん損なっているような気がします。「自分探し」という言葉が登場したのは1997年のことです。「自分探しの旅を支援する」ことが学校教育の目標に掲げられて、教師も親も子どもたちもその言葉を口にするようになりました。でも、それから後なんだか学校がずいぶん息苦しい場所になったような気がします。

 だって、「自分探し」ですから眼に入るのは「自分」だけです。自分がほんとうは何者かを「まず」知ろうとすることが優先的な教育課題になった。でも、はっきり言いますけれど、これは間違っていますよ。自分が何者であるかは、何かをした後にしか分からないからです。自分が創り上げた「作品」を通じて、事後的に「このような作品を創り上げてしまうような傾向を持つ人」として自分が誰であるかが知れる。そういうものなんです。何かを作ってみるまで、自分が誰かはわからない。まだ何も作っていない段階で、自分は何者か考えても、わかりません。動いてみないとわからない。作品を作った後になって自分がどんな作品を作る人間なのかがわかる。意を決して「えいや」とばかりに未来に身を投じてみないと、自分がほんとうに望んでいたことが何かも、自分がほんとうになりたかったものが何かもわかりません。

 

 だから、みなさんには未来を見つめて欲しいんです。世界がこれからどうなるのか真剣に考えて欲しい。そこにこれから身を投じるんですからね。(『蛍雪時代』3月号)

2024年

4月

30日

道路緊急ダイヤル

弁護士 大和八木
わんこ散歩中に遭遇しました♪

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

ゴールデンウィークの中日、いかがお過ごしでしょうか。

今日はなんだか肌寒くて、しまおうと思っていた春モノコートを引っ張り出してきました。

最近の気温の乱高下に自律神経も乱れてるなあと実感します。

体が急な暑さに追いついていかず、この季節でも熱中症の危険もあるそうです。適度に外出してぼつぼつ体を慣らしていくのがよいそうですよ😀

突然ですが、車の運転中に道路に天に召された野生動物に遭遇したことはありませんか。

猫さんやいたちさん、カメさんなどときどき見かけて、心の中でお祈りしながら、

でも運転中なので、避けて通過しちゃって、

でも、遺体は誰がどうやってお片付けしてくれるんだろうと気にかかりながら、

そのまま忘れちゃって

次にそこを通った時には何もなくて・・・

 

そしたら、先日こんな案内を見つけました😀

 

 

 

自転車に乗っていて、タイヤがとられて危ないなと気になっていた道路の陥没もこれで連絡したらいいんですね😀

みなさんも是非活用してみて下さいね。

 

ただ、ひとつ気になっているのが・・・・

車で走っている最中に写真撮れないですよねぇ・・・😓

LINEを送るのはあとからでもいいと思うのですが、

陥没や落下物に気がついたとき、

停車して、スマホ出して、撮影して・・・。

ふぅぅぅぅむ。

2024年

4月

26日

内田樹さんの「連載開始のごあいさつ」 ☆ あさもりのりひこ No.1512

コミュニケーションにおいて一番大切なのは、「中身」じゃなくて、「宛先」です。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「連載開始のごあいさつ」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

読者のみなさん、はじめまして。内田樹です。今月号から、『蛍雪時代』に連載することになりました。十代の人たちに直接語りかけるということは、ふだんはまずできない貴重な機会なので、お引き受けすることにしました。どうして「貴重な機会」なのか、それについて最初に書いておこうと思います。

 僕は文章を書く時に宛先である「想定読者」についてできるだけ解像度の高いイメージを持つようにしています。そして、その人に「言葉が届く」ように書きます。注意して欲しいのは「言葉が届く」ということと「理解される」ということは別のレベルの出来事だということです。「理解しやすい言葉」でも届かなければ意味をなさない。「理解できない言葉」でも届くことはある。

 コミュニケーションにおいて一番大切なのは、「中身」じゃなくて、「宛先」です。僕はそう考えています。郵便と同じです。どんな深い内容の手紙であっても、封筒に宛名が書いてなければ、誰も読んでくれない。

 逆に、まことに不思議なことですけれども、どんなメッセージであっても、それが自分宛てであるかそうでないかは、差し出された瞬間に直感的にわかるんです。

『旧約聖書』の「創世記」にはアブラハムの前に「主」が現れる場面があります。「主」はこの世ならざるものですから、人間のかたちなんかしていません。雲の柱とか雷とか燃える柴とか、そういう驚くべき表象として出現する。当然、人語も話さない。ですから、よく考えるとアブラハムが「あ、『主』が出現してきて、私に何か話しかけた」と思うはずがないんです。驚嘆すべき形のものから、人語ならざる轟音(たぶん)が届くだけなんですから。

でも、アブラハムは「主」から「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい」というメッセージを正しく受信しました。でも、どうしてそんなことが可能だったのでしょう。

 これは僕の個人的な見解で、キリスト教の正統教義とは無関係なのですが、アブラハムが受信したのは「主」の言葉そのものではなく、「これは自分宛てのメッセージだ」という事実だったと思うのです。

 それはノイズが入るラジオ放送を受信するような経験です。自分のラジオがある電波を受信してしまった。どうしたらいいのか。とりあえずチューニングします。ラジオを手に歩き回って、少しでも音質がクリアーになる場所を探す。「主」のアブラハムへの言葉は「チューニングせよ」と命令だったと僕は思います。アブラハムは波動を身体に感じた。そして、姿勢を変えたり、生き方を変えたりしたら、そうすればよりクリアーに受信できるような気がしたから。

 自分宛てのメッセージを受信したと思った人間はチューニングする。そうすればメッセージがもっとクリアーに聴き取れるに違いないと思って。直感的に。この直感がすべてのコミュニケーションの根源にあるものだと僕は思います。

 僕は皆さん方くらいの年齢の時に、むさぼるように本を読みました。そして、いくつかの「チューニングすれば聴き取れそうな気がする本」と出会いました。何が書いているのか全然意味はわからない。でも、ここではない場所に行って、今とは違う生き方をすればわかるような気がした。実際にそうでした。ですから、それからずっと同じことを繰り返しています。

 

こんな話をみなさんが今すぐ理解してくれるかどうかは分かりません。でも、「自分が宛先かどうか」は今吟味してみてください。(『蛍雪時代』1月号)

2024年

4月

25日

奈良マラソン2023への道 その5 ☆ あさもりのりひこ No.1511

4月19日(金)早朝、全力・ジョグ・全力、36分49秒、6.192㎞、平均ペース5分56秒/㎞、累積上昇78m、消費カロリー353㎉。

7分28秒(600m)

5分34秒、5分23秒

6分34秒、6分57秒(500m)

5分14秒、5分32秒

5分49秒(100m)

 

4月20日(土)早朝、ビルドアップ走、36分16秒、6.19㎞、平均ペース5分51秒/㎞、総上昇量94m、消費カロリー415㎉。

1 6分35秒(上り下り)

2 6分27秒(上り)

3 5分42秒

4 5分58秒

5 5分16秒(下り)

6 5分18秒(上り下り)

7 5分15秒(190m

 

4月21日(日)午前、ロング走、3時間51分03秒、28.39㎞、平均ペース8分08秒/㎞、総上昇量721m、消費カロリー1877㎉。

1 7分34秒(上り下り)

2 7分32秒(上り下り)

3 7分52秒

4 7分29秒

5 7分58秒(上り)

6 7分07秒

7 7分48秒

8 8分26秒

9 8分05秒

10 8分26秒

11 8分03秒

12 8分06秒

13 7分27秒

14 7分55秒

15 8分03秒

16 10分15秒(上り)

17 9分29秒(上り下り)

18 8分45秒

19 8分25秒

20 9分06秒

21 7分16秒

22 7分07秒

23 9分01秒(上り下り)

24 8分21秒

25 7分46秒

26 8分57秒

27 8分51秒

28 7分15秒(上り下り)

29 6分38秒(390m

 

4月22日(月)安足日。

 

4月23日(火)早朝、雨、西園美彌さんの魔女トレ。

 

4月24日(水)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

4月25日(木)早朝、安藤大さんのアントレの予定だったが、眠っているときに左脚の脹ら脛が攣ったので、西園美彌さんの魔女トレに変更した。

 

 

2024年

4月

24日

内田樹さんの「居場所がない」 ☆ あさもりのりひこ No.1510

生き物は可動域が広く、次の行動の選択肢が多いところにいると安心し、自由度が失われると不安になる。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「居場所がない」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

年若い友人から「若者の貧困」について話を聞きました。彼は貧困者の救援活動をしている団体の職員をしています。救援拠点には「お腹を減らした若者たち」が集まって炊き出しの前に列を作っている。この時代に「ご飯が食べられない」という若者が何百人もいると聞いて驚きました。その多くは、家はあるが、家にいたくないのだそうです。家には自分の居場所がない。だから外にさまよい出ている。でも、お金がない。結果的に犯罪に巻き込まれて、被害者になったり加害者になったりするリスクに身をさらすことになる。そういう話を聞きました。

 話を聞きながら「居場所がない」というのはどういう意味だろうと思いました。なんかその言い方は不正確じゃないかという気がしたのです。たぶん家でも学校でも「居場所」はあるのです。でも、彼らはそこにいたくない。というのは、そこにいると自分が何者であるか、何をすべきか、何を言うべきか、それがすべて決められていて、それ以外に選択の余地がないから。ものすごく狭いところに閉じ込められていて、息ができないから。それが実は若者たちが「居場所がない」と言うときの実相ではないか。そんな気がしました。

 家庭内でも、学校内でも、親から、教師から、友だちから、自分のいるべき場所も、自分がしてよいことも、自分が口にしてよい言葉も、全部決められていて、そこから一歩も出られない。その「たこつぼ」のようなところにじっとしていれば、ご飯を食べたり、寝たり、授業を受けたりすることは許されるけれど、そこから出ることは許されない。それが「居場所がない」ということの実感ではないか。

 何年か前にアメリカのForeign Affairsという雑誌が日本の大学教育についての特集をしたことがありました。その時に学生たちにインタビューをした時の答えが印象に残っています。学生たちは自分たちの大学生活を三つの形容詞で説明したのです。trapped, suffocating, stuck の三つです。「罠にかかった」「息ができない」「身動きできない」。あまりにインパクトのある形容詞だったので、記憶してしまいました。

 たぶんこのコラムを読んでいる人たちにもこの実感は理解できると思います。日本社会は若者たちにひどく「冷たい」と僕は思います。でも、それは、社会が彼らを放置しているからではない。逆です。生きている気がしなくなるくらいにおせっかいに「狭いところ」に閉じ込めようとしているから、つらいんだと思う。

 前にブラジルで10年暮らしてから日本に戻って来た友だちから、こんな話を聞きました。彼女の子どもが小学校から帰って、「今日、学校で先生に変な質問されたのだけれど、答えられなかった」と言ったそうです。「なんて質問されの?」と訊いたら、「君は将来何になるのか?」と訊かれたのだそうです。ブラジルにいたときは大人からそんなことを訊かれたことが一度もなかったので、意味がわからなかった、と。

 その話を聞いて、僕も小さい時からその質問が嫌いだったことを思い出しました。なぜ大人たちは子どもを早くから「枠」にはめようとするのか、それが不可解でした。

 今は小学校から「キャリアパスポート」なるものを持たせて、最短距離で将来のキャリア形成に迎えるように子どもを「狭いところ」に追い込んでいるようです。ですから、いま子どもたちは「将来の夢は?」と訊かれると、暗い顔をするそうです。当然だと思います。生き物は可動域が広く、次の行動の選択肢が多いところにいると安心し、自由度が失われると不安になる。

 

 今の日本の教育は子どもたちを生物として弱くするために一生懸命に努力をしているように僕には思われます。(『蛍雪時代』2月号)

2024年

4月

23日

ついに出た176本目@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

さて、一言触れさせてください。

 

昨日ですがまたまた大谷選手が記録を作りました☆

 

メジャー通算176本目、

 

松井秀喜選手が持つ日本選手最多記録を超える一発は、守備陣が動けない特大のホームランでしたね

 

前回のホームランから少し間は空いたものの、いつ出るのか毎朝ソワソワしながら、ニュースを待ってました😆

 

昨日はホームランのほかにも安打も出て、打率は.368(3割6分8厘)まで上昇、メジャートップになりました。

 

例のスキャンダル騒動で大谷選手のメンタルを心配していましたが、本当に凄いですよね。

昨年と同様、毎朝大谷選手のニュースを見て、モチベーションを上げています。

 

これからもますますの活躍を期待しております(^_^)b

あと、最近気になっているのが、今月から某局で始まった朝ドラです。

 

日本初の女性弁護士、そして女性初の裁判長になった三淵嘉子さんがモデルになっているのですが、ご覧になりましたか。

 

ドラマが始まるまではそれほど興味はなかったのですが、三淵嘉子さんがどんな人だったのか短いドキュメンタリーをたまたま見る機会がありました。

 

彼女が司法試験を合格した当時は、司法官試補(現在の司法修習生)採用の告示において、裁判官や検察官は男性に限定する旨の規程があったため、女性にはその門戸は開かれていませんでした。

 

明治時代の民法では、結婚した女性は「無能力者」。

いわゆる法律行為をする能力が認められず、夫に財産を管理され、行動を制限される立場。

現在では考えられないくらい、女性は結婚した途端、不平等な扱いを受けていました。

 

しかし、三淵さんは諦めず、戦後、裁判所へ採用願いを提出して直談判し、女性で2番目の裁判官へと就任し、その後、民法の改正や家庭裁判所の設立にも携わり、後に女性初の裁判所長を務められました。

 

現在、女性の法曹人口はおよそ2割。世界基準からするとまだ低いですが、それでも三淵さんたちが時代を切り開いた結果が現在に繋がっているんだなと思うと興味が湧いてきまして。

 

ドラマはまだまだ序盤なので、興味があれば一度ご覧ください。

 

2024年

4月

22日

内田樹さんの「ポスト日米安保の時代」 ☆ あさもりのりひこ No.1509

日本の政治家も官僚も戦後80年「日米同盟基軸」という話しかしてこなかったので、日米安保がなくなった場合の安全保障については何も考えていない。文字通り「何も考えていない」。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「ポスト日米安保の時代」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

先日、左派のビジネスマンたちの集まりに呼ばれて講演をすることがあった。「左翼の資本家」というものがいるのである。世間は広い。

 そこでトランプが二期目の大統領になったら日本の安全保障はどうなるかという話をした。可能性は非常に低いが、日米安保条約を米国が廃棄して在日米軍基地がなくなるというシナリオもあり得る。

 私の貧しい想像力を駆使して想定し得る「最悪のシナリオ」がこれである。

 そうなると何が起きるか。日本の安全保障は以後日本人が自分の頭で考えなければならなくなる。でも、日本の政治家も官僚も戦後80年「日米同盟基軸」という話しかしてこなかったので、日米安保がなくなった場合の安全保障については何も考えていない。文字通り「何も考えていない」。だから、米国から「あとはよろしく。自分の国は自分で守ってね」と通告されたら、政治家も官僚も腰を抜かすだろう。そして、仕方なく自衛隊にすがりつく。国防について「実際的に」考えてる機関はそこしかないからである。

 国防構想を丸投げされた自衛隊はとりあえず、憲法九条二項の廃棄と国家予算の半分ほどを国防費に計上することを要求するだろう。恒常的な定員割れを補うためには徴兵制の復活も当然議論の俎上に上る。主を失った米軍基地はすべて自衛隊基地になる。

 こうして「もう誰も信じない非同盟武装国家」という目つきの悪いハリネズミのような国が出来上がる。どこか既視感を覚える国家像であるが、そういう体制を歓呼の声で迎えそうな国民は今の日本に少なからず存在する。それというのも安全保障のシナリオとして「日米同盟基軸」以外に何も考えてこなかった日本人の思考停止のせいである。

 以前ある政治学者に「日米安保以外に日本にはどんな安全保障戦略があり得るでしょうか?」と訊いたら化け物でも見るような顔をされたことがある。その問いを自分に向けたことが一度もなかったのだろう。でも、米国の政治学者に「日米安保以外に西太平洋の安全保障戦略にはどんなものがありますか?」と尋ねたらいくつかのシナリオをすぐ語り出すはずである。日本の病は深い。(AERA、4月9日)

 

 

2024年

4月

19日

内田樹さんの「兵器より温泉」 ☆ あさもりのりひこ No.1508

兵器を買う金があったら観光資源を充実させる方が安全保障上効果的である

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「兵器より温泉」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

定期的に悪友たちと集まって、箱根で湯治をしつつ麻雀をしている。50歳を過ぎた頃に始めた行事なので、もう20年を超えた。ずっと同じ旅館の、同じ部屋に泊まる。他の条件を同じにしておくと、経年変化が鮮やかに可視化されるからである。

創業メンバーの四人のうち一人(私の兄)はすでに鬼籍に入り、一人は認知症を病んで施設に収容された。残された二人(私と平川克美君)の友人を呼んで定員を補充したが、若手の代表格だった小田嶋隆さんは一昨年亡くなり、釈徹宗先生は多忙のためになかなか都合がつかない。今回はなんとか6人が集まり、五分咲きの桜の下で琴棋詩酒を楽しむ境地のまねごとをしてきた。

 箱根の様変わりぶりに驚かされた。前回(4か月前)の外国人観光客はほとんどが中国からのお客様たちだった。今回も中国人ツーリストの数は同じくらいだが、それよりはるかに多い数の非アジア系(欧米かオーストラリアからか)の観光客が駅やバス停にひしめいていた。若い人たちのグループもいるし、家族連れもいるし、旗を持ったツァーコンダクターについてぞろぞろ歩く中年の団体もいる。バカンスの時のスペインやイタリアの観光地でよく見た光景である。

 コロナ前の賑わいを取り戻したどころの騒ぎではない。どうやら歴史的な円安のおかげで日本の観光地は「安くて、美味くて、治安がよくて、接客サービスがよい」ということが全世界に周知されることになったようである。お客様たちの来訪でコロナ禍で文字通り「閑古鳥が鳴いていた」観光地が息を吹き返したことは慶賀の至りである。

 この風景を見て、やはり日本の未来は「観光立国」だろうと思った。食文化と接客の質において、間違いなく日本は世界一である。物価が高いのがネックだったが、為替格差のせいで日本は外国から見ると「非常に物価の安い国」になった。前にスキー場のリフトで隣り合わせたオーストラリアの青年になぜこんな遠くまで来たのか訊いたら「国内のスキー場に行くより、日本まで飛行機で来た方が安いから」と教えてくれた。たぶん、箱根にひしめいていた観光客たちも「スペインやイタリアより日本の方が安い」からいらした方たちなのだろう。

 こうなったら、もう「これで行く」と腹をくくったらどうかと思う。温泉、神社仏閣、桜や紅葉の名所、伝統芸能、美酒美食...日本には世界に誇る観光資源がある。一朝一夕でできたものではない。千古の努力の成果である。これに類する観光資源を有する国はアジアには存在しない。接客サービスの費用対効果では欧米をはるかに凌ぐ。だとすれば、世界中の人が「日本に行きたい。日本で休暇を過ごしたい。できたら日本で暮らしたい」と思うところまで「歓待の国」化したらどうか。

 中国人富裕層が日本に不動産を購入することを「侵略だ」と気色ばむ人がいるけれど、早とちりしなで欲しい。そういう人たちは資産を移す先は「できるだけ社会秩序が安定的であって欲しい」と願うものである。だから、もし中国政府が仮に日本との関係を対立的な方向に進めようとした場合に「そういうことは止めておいて欲しいです(私の家があるんですから)」と宥和的な政策を願うはずだからである。スイスの銀行に個人口座を持っている人たちは(テロリストでさえ)「スイス侵略」に反対するのと同じ理屈である。

 

 究極の安全保障は「その国が侵略されたり、破壊されたりすると私が個人的に困る」というステイクホルダーを全世界に持つことである。兵器を買う金があったら観光資源を充実させる方が安全保障上効果的であると私は考えるが、いかがだろう。(山形新聞、「直言」、4月9日)

2024年

4月

18日

奈良マラソン2024への道 その4 ☆ あさもりのりひこ No.1507

4月12日(金)早朝、テンポ走、37分40秒、6.21㎞、平均ペース6分04秒/㎞、総上昇量88m、消費カロリー422㎉。

1 6分38秒(上り下り)

2 6分48秒(上り)

3 5分31秒

4 6分03秒

5 5分42秒(下り)

6 5分49秒(上り下り)

7 5分35秒(210m

 

4月13日(土)早朝、坂道ダッシュ300m×3本、43分32秒、6.326㎞、平均ペース6分52秒/㎞、累積上昇157m、消費カロリー421㎉。

6分53秒、6分48秒、6分12秒(500m)

6分07秒/㎞、8分20秒/

6分01秒/㎞、8分32秒/

6分02秒/

7分28秒、6分35秒、6分18秒(300m)

 

4月14日(日)午前、稲渕・細川、2時間13分00秒、18.41㎞、平均ペース7分13秒/㎞、総上昇量468m、消費カロリー1310㎉。

1 7分01秒(上り下り)

2 7分00秒(上り)

3 6分27秒

4 7分05秒

5 8分07秒(上り)

6 8分08秒(上り下り)

7 6分47秒

8 8分32秒(上り)

9 10分15秒(上り)

10 6分56秒(上り下り)

11 5分44秒(下り)

12 6分57秒

13 8分10秒(上り)

14 6分21秒(下り)

15 6分39秒

16 6分39秒

17 7分08秒(上り下り)

18 6分35秒(上り下り)

19 6分02秒(410m

 

4月15日(月)安足日。

 

4月16日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.15㎞、傾斜2.0%、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、消費カロリー362㎉、手首に重り1㎏×2。

 

4月17日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

4月18日(木)早朝、階段1045段、50分07秒、6.15㎞、平均ペース8分09秒/㎞、総上昇量88m、消費カロリー470㎉。

8分09秒、8分44秒、8分00秒

7分49秒、8分41秒、7分44秒

6分36秒(150m)

 

 

2024年

4月

17日

内田樹さんの「『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社)」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1506

本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。

 

 

2024年4月15日の内田樹さんの論考「『東京ミドル期シングルの衝撃』(宮本みち子、大江守之編著、東洋経済新報社)」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 次の論点は、このシングルたちはどのような社会的な関係を形成しているのかである。彼らが高齢化したときにアンダークラス化しないために欠かすことのできない条件は地域コミュニティにコミットしていることだからである。果たしてミドル期シングルたちはどのような「親密圏」を形成しているのか。

 これについては男女差が際立っている。男性シングルは親密圏の形成が苦手で、女性の方がずっとその点ではすぐれている。これはどなたも経験的にわかるだろう。

 男性シングルは親族との関係が希薄であるが、女性シングルは「ひとり暮らしに伴う経済的不安、孤独、犯罪に巻き込まれる不安、病気の不安を男性以上に感じやすい分、親やきょうだいと頻繁に連絡をとって、結婚によって築く親密圏に代わる親子関係を軸とする親密圏を築いています。」(156頁)

 おそらくリスクに対する不安が男性よりも強いせいで、女性の方が「家族に代わる多様な生活共同体(別居パートナー、コレクティブハウス、シェアハウスなど)」(156頁)の形成についても、あるいは「趣味やレジャーで会う人や同窓生などの"柔らかい紐帯""固い紐帯"と共に築いている人が男性より明らかに多いといえます。」(156頁)

 男性は親族のみならず仕事以外の友人・知人とのネットワーク形成にも未成熟である。だから、高齢期に病気になった場合にもケアマネージャーや行政に優先的に頼ろうとする。「日ごろから頼ることのできる家族的関係や友人知人関係を作っていない結果といえるでしょう。(...)ミドル期シングルの環境は、非家族的親密圏も中間圏も広く形成されている状態にはなく、孤立化するリスクを抱えているといえます。」(157頁)

 その通りだと思う。

 親はいずれ死ぬ。きょうだいとの縁も薄くなる。仕事も退職する。そのあとにシングルたちはどうやって生きるのか。ただ「生きる」のではない。一人の市民として、尊厳を以てどうやって生きるのか。

 本書では「ハンカーダウン(hunker down)」という言葉が使われているが、これは人々が「より私的な空間に閉じこもり、他者への信頼度が下がり、なるべくかかわらないようにしている」状態を意味するのだそうである。「引きこもり」である。地域コミュニティにコミットしない/できない状態のことである。

 もともと日本では地縁共同体が衰退している上に、「都会のミドル期シングルはあまり地域での重要な関係を持つことに積極的ではない」(162頁)。しかし、地域コミュニティへのコミットメントは「孤立化」を防ぐ最も効果的な手立てである。どのようにしてミドル期シングルを地域コミュニティとの関りを持たせることができるのか。それが実践的な課題になるのだが、アンケートに回答したミドル期シングルの8割は地域活動に参加していない。

「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(173頁)。コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。ミドル期シングルは「ツーリングに出かける先、コンサート会場やスポーツ観戦の場所などの地域コミュニティには存在しない『イベント』的サードプレイス」を挙げているが、それは「"その場を楽しむ"ということに限定されており、必ずしも、何かあったときに支え合う、家族の代替になるものではなさそう」である。(173頁)

 ミドル期シングルは表面的には活発な社会的関係を形成しているように見えても、自分が高齢期になったときに「生活に不安のない人」は全体の3.7%しかいない。(176頁)「病気になったときに身の回りの世話をしてくれる人がいない、という不安は64%にも上がり」、「自分が『孤独死』する不安を多少でも持っている人は半数に上ります。」(176頁)「病気になったときや介護が必要になった場合に誰を頼ればよいのか、高齢期になってお金は足りるのだろうか、住むところはあるのだろうか、そして災害時に誰が助けてくれるのか」(176頁)という不安を多くのミドル期シングルは抱いている。

 特に災害の場合、地域コミュニティへの参与の有無は決定的である。避難所に知り合いが一人もいない状態で罹災者になるストレスはかなりシリアスだと思う。

 本書がそれゆえミドル期シングルたちに地域へのゆるいコミットメントを勧奨している。図書館や公園で会って挨拶する程度の関係でもいい。それだって、地域の一員であるという意識の培地にはなる。

 地域活動の核といえば、学校と病院である。学校と病院を「地域に開く」という試みはすでに行われている。子どもたちの教育活動に参加する、高齢者の支援者となるといった取り組みは「世代を超えて地域の結びつきを深めることに結びつくかもしれません。」(194頁)

学校と病院は「社会的共通資本」(宇沢弘文)の重要な柱である。これを安定的に維持することは地域共同体にとって死活的に重要であるのだから、学校と病院を「サードプレイス」にできた人は、かなり安定的な仕方で地域コミュニティに参与できるだろう。この見通しには私も同意する。

 いずれにせよ、鍵になるのは「ゆるい」ということである。都市生活者は「強い絆」を嫌う。何となく、ふらっと立ち寄った場所で、気が向いたら参加し、気が向かなかったら参加しないという程度の「ゆるいつながり」を求める。(196頁)

 面倒な話である。でも、「東京の中心ではミドル期シングルはもはやマジョリティです。ミドル期シングルを包摂し、ゆるやかにつながる地域を作り上げることは、地域、行政にとって、そして何より当事者たちにとって大切なことです」(200頁)という言明にはうなずかざるを得ない。

 

 以上、やや急ぎ足で本書の内容を要約した。求められているのは「書評」なので、評言を述べなければならないのだが、本書を読む限りでは「教えられること(そうだったんですか)」と「同意すること(そうですよね)」ばかりだったのでうまく論評の言葉を思いつかない。 

 付け加える情報があるとすれば、一つは大量の高齢シングルを抱えるせいで国難的危機に遭遇するのは日本だけではないということである。中国がそうなのである。

 中国は1979年から2014年まで35年にわたって「一人っ子政策」を採ってきた。多くの夫婦は「跡取り」が欲しくて女児を堕胎したせいで、この世代は男性が過剰である。配偶者を得られずに高齢を迎えた男性はすでに5500万人に達している。彼らの多くは低学歴、低収入、農村人口である(だから配偶者を得られなかったのである)。二代続けて「一人っ子」だった場合、親が死ぬと、彼らは妻子もきょうだいもおじおばもいとこもいない「天涯孤独」の身となる。中国社会は伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークで支えてきたけれども、この人たちは親族ネットワークというものがそもそもない。彼らの老後がどういうものになるのか、誰もわからない。最近の中国ネットでは「安楽死」が話題になっているそうである。「集団自決」と同根の発想なのかも知れない。

 もう一つ付け加えたいのは、私自身シングルのための地域コミュニティを手作りした経験があるということである。凱風館という武道の道場であり、学塾であり、かつ相互支援のネットワークの拠点を作った。メンバー同士で子育てを支援したり、起業を支援したり、病気のときの世話をし合ったりしている。先年「合同墓」を作った。シングルや子どものいない人たちのために、誰でも入れて、道場がある限り誰かに供養してもらえるお墓を作った。

 

 凱風館は「サードプレイス」であるが、違うのはただ「つながる」だけではなく、修行や勉学を通じて自己刷新を遂げることがメンバーに期待されていることである。本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。そのためにも、ミドル期シングルの市民的成熟を支援する仕組みを構想することもまた私たちのたいせつな仕事だと私は思っている。

2024年

4月

16日

近鉄八木駅前に新たなフォトスポットが増えましたよ!

本日、4月16日は事務局が担当です。

昨年5月、今年3月に設置された銅像に引き続き、世界的人気ゲームシリーズ「ストリートファイター」シリーズに登場する「リュウ」及び「春麗(チュンリー)」のデザインマンホール蓋が設置されました。

1995年に、橿原市には今井町を模したマンホール蓋が設置されましたが、今回さらにユニークで、色のついたマンホール蓋が増えました。

「リュウ」及び「春麗(チュンリー)」のデザインマンホール蓋は、近鉄大和八木駅南側広場の歩道上の2箇所に有ります。

近鉄八木駅前 「リュウ」のデザインマンホール蓋
近鉄八木駅前 「リュウ」のデザインマンホール蓋
近鉄八木駅前 「春麗(チュンリー)」のデザインマンホール蓋
近鉄八木駅前 「春麗(チュンリー)」のデザインマンホール蓋

場所は、駅前広場とミグランス付近ですので、一度歩いて探してみて下さい。

更に、今回は、橿原神宮前駅中央改札口前にも、橿原市のイベントで放映されたオリジナルアニメ「よみがえる藤原京」をデザインしたマンホール蓋が設置されました。

そもそも、マンホール蓋がツルツルの鋼板だったら人や車が通過する際に、スリップする可能性があるので、模様には滑り止めの大切な役割があります。

下水道って汚水を流す汚いイメージと、ほとんどの施設が地下にあり普段目にすることがないため、せめて目に見えるマンホール蓋の模様を工夫することでイメージアップを図ろうと、1980年代頃から全国で展開されてきたそうです。

各自治体は、その地方の名物や観光名所などをデザインし、「ご当地マンホール」として特色のあるものにしているようで、結構収集家がいるそうです。

このように毎日の生活の中に、何か変化を創ることが、楽しさをも創りだすことになりそうです。

ぜひ、一度このマンホール蓋をご覧下さい。

追伸

マンホール蓋の撮影をしていたら、マンホール蓋の取材?ストリートファイター関係の取材?に来ていた毎日放送のクルーに取材を受けました。

この取り組みが話題になり、より多くの人に広まることを願う次第です。